スタンドでは「ビールなんか飲んでる場合じゃないだろ！」ベテラン記者が振り返る長嶋茂雄“引退試合”リアル回想録「厳粛というか…妙に静かで」 

　そんなこんなで、「今日は1000本だ！」と意気込んでスタンドに繰り出した試合前の30分が、まあ、売れた、売れた。

　昭和49年（1974年）10月14日。長嶋茂雄、見納めの日。

　その姿をおがめる嬉しさなのか、惜別の寂しさもあったのだろう。スタンドのテンションが「祭り」のようなうねりを帯びていた。

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「全部置いてけ！」

　4人～5人で来ていたおじさんたちは、多分どこかでウォーミングアップをすましてきたのだろう。もうすっかり出来上がっていて、20本まとめて買ってくれたビールを自分たちでもあおりながら、一生懸命、まわりにふるまっていた。

　そのありがたいお客さんの「構わねえから、全部置いてけ！」はそのあとも三度ほど続き、内野スタンドの一角は、お客さんみんながキリンビールの紙コップを握りしめての観戦となった。今考えると「全部置いてけ！」のおじさん、そうでもしなきゃやりきれなかったのだろう。

突然、売れなくなったビール

　飛ぶように売れていたビールがピタッと売れなくなったのは、試合が始まってまもなくの頃だ。

独特の雰囲気に包まれた“ミスタープロ野球”の引退試合　©JIJI PRESS

　いつもなら、味方への応援や相手チームへの罵声が飛び交っているスタンドが、その日に限って、妙に静かだった。

「はい、ビールいかがですかあっ！」の大声もはばかられるようないつもと違う雰囲気は、今考えると、「厳粛」という表現が近いのか。なにか、特別な儀式が始まる前のような整然とした空気はなんだったのか。

「売れてる？」「ダメ。客のノリが悪い」

　すれ違いざまに、売り子同士でかわすやりとりにも勢いがない。

　そんな湿っぽい空気が一気に入れ替わったのが、試合中盤、長嶋茂雄選手が通算444号をレフトスタンドに放り込んでからだ。

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