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マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「ミスタープロ野球」長嶋茂雄の引退試合…ナゼ満員にならなかった? 「延々、列が伸びるかと思ったら…」ベテラン記者が気づいた“異変のワケ”
posted2025/06/13 11:00
1974年10月14日、中日とのダブルヘッダーが引退試合だった「ミスタープロ野球」長嶋茂雄。当日、現地はどんな雰囲気だったのだろうか?
text by

安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
JIJI PRESS
6月3日に逝去した「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さん。長嶋さんといえば今でも話題に上るのが、引退試合での「わが巨人軍は永久に不滅です」という名言だ。いまから約半世紀前のその日、筆者は「ビール売りのアルバイト」としてその現場に居合わせた。いまも記憶に残る「背番号3」引退の日の“異様”とはどんなものだったのだろうか?《NumberWebレポート全2回の1回目/つづきを読む》
昭和49年(1974年)10月14日。
その日の後楽園球場は、異様な空気が充満していた。
カードは、読売ジャイアンツVS中日ドラゴンズのダブルヘッダー。
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すでに20年ぶりのリーグ優勝を決めていた中日が相手だから、言ってみれば「いわゆるひとつの消化試合」なのだが、この日の試合にはとんでもない「看板」が掲げられていた。
「ミスタープロ野球」の引退試合
長嶋茂雄選手・引退試合。
2日前に現役引退を発表していたミスター・ジャイアンツ。長嶋茂雄選手の勇姿が拝める最後の日だった。
当日売りの窓口に並ぶ人の列が、延々伸びるのだろうと思っていたら、そこまでじゃない。「おかしいな」と思って、すぐわかった。
本当なら前の日、13日の日曜日のはずだったのが、雨で1日延びて月曜日になった。平日の昼間の試合になったから、「長嶋命」の主流である「おじさんたち」がいない。確か第一試合が昼ごろの開始だったから、みんなまだ「仕事の時間」なのだ。

