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マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
スタンドでは「ビールなんか飲んでる場合じゃないだろ!」ベテラン記者が振り返る長嶋茂雄“引退試合”リアル回想録「厳粛というか…妙に静かで」
posted2025/06/13 11:01

1974年10月14日に行われた「ミスタープロ野球」長嶋茂雄の引退試合。当日、現地は異様な雰囲気に包まれていたという
text by

安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
JIJI PRESS
6月3日に逝去した「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さん。長嶋さんといえば今でも話題に上るのが、引退試合での「わが巨人軍は永久に不滅です」という名言だ。いまから約半世紀前のその日、筆者は「ビール売りのアルバイト」としてその現場に居合わせた。いまも記憶に残る「背番号3」引退の日の“異様”とはどんなものだったのだろうか?《NumberWebレポート全2回の2回目/最初から読む》
「ミスタープロ野球」引退試合の様子は?
ビールの小瓶を20本、観客の多い日は30本、ケースにギューギューに詰め込んで、二階席の上のほうまで上がる。
他の売り子は疲れるからなかなか来ないので、あっという間に売れたが、さすがに背骨はギシギシいって貧血みたいに目がくらんだものだ。
今の球場では、背中に大きなビールのタンクを背負ったお嬢さんたちが売り子として頑張っている。だが当時は、小瓶のビールを大きめの紙コップにトクトクトクとついで、お客さんに渡すシステム。この「トクトクトク……」が実は勝負で、琥珀色の液体が紙コップの中に注ぎ込まれていくさまを、まわりのお客さんたちに見せながら……というのがキモ。見せられたお客さんは、たいていが「こっちもビール」。
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あの頃で、ビール1本450円だったか。5%の歩合制だから、1本売れば22円ほどの稼ぎ。観客満員の巨人戦なら、当時、レフトポール下の倉庫までの往復を全力ダッシュにして必死で頑張って、15ケース、300本ほど。ひと袋200円のおつまみチクワの売上げもいくらかプラスされて、一晩7000円。しかも、終盤7回終了までの実働せいぜい2時間半ほどでの短時間高収入だ。
学生アルバイトの時給が500円~600円の時代だったから、家庭教師の次ぐらいには割りのよいアルバイトではなかったろうか。ほとんどが高校、大学の運動部員だった。