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「落合博満とトレード寸前だった」巨人が“優しすぎる”右腕を手放さなかった39年前の舞台裏「斎藤は出せない!」“平成の大エース”の覚醒前夜
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph byKiichi Matsumoto
posted2025/05/02 17:03
「平成の大エース」と言えばこの人
1986年オフに突如、降って湧いたのが当時、ロッテで2年連続3度目の三冠王に輝いていた落合とのトレード話だった。
当時、年俸9700万円だった落合の移籍先として巨人が大本命と見られ、実際に両球団の間でトレード交渉は行われた。交換要員のすり合わせが行われる中で、ロッテ側が指名してきたのが、3年目に12勝を挙げたものの、その後の“低迷期”にあった斎藤だったのである。
落合とのトレード騒動の真相
「電話がかかってきたんですよ。そこで明日、会社に電話してくれって言われたような……来いって言われていたら行っていますからね。で、これはトレードだと思って覚悟を決めていたんです。そうしたらその日の夜に落合さんが中日に移籍するっていうニュースが流れた。翌日に電話して確認したら『いやいや、ウワサは出ていたけど、そんなことはないからこれからも頑張ってくれ』って。嘘つけ、絶対に考えていただろってね(笑)」
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後に巨人の関係者から聞いた話では巨人側には「斎藤は出せない」という意見があり、あくまで斎藤に固執するロッテ側と交渉が暗礁に乗り上げていた。そこを中日の監督に就任したばかりの星野仙一が剛腕で電撃的にトレードをまとめてしまった、というものだった。
2度も報じられた「斎藤トレード」
中日移籍後の落合が「何で巨人は斎藤を出さなかったんだよ」と、当時、巨人系スポーツ紙で中日担当をしていた筆者に語るのを聞いたことがあった。
本人の望みとは裏腹に、落合の野球人生も他動的だった訳だ。
そして斎藤は翌87年にも南海・山内孝徳投手とのトレードで交換要員に名前が上がるが、江川卓の突然の引退によりトレードそのものが白紙となって巨人に残留した。
その2年後に藤田が監督に復帰して“平成の大エース”は誕生する。
斎藤の野球人生もまた他動的だったが、それも決して悪くなかった。〈第1回、第2回からつづく〉


