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「自信をなくしていたんです…」巨人伝説のエースが初めて語った「空白の3年間」自ら持ちかけた“野手転向”の真相〈斎藤雅樹インタビュー〉
posted2025/05/02 17:02

巨人入団間もない頃の斎藤雅樹。現在は解説者として活躍する
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO / Kiichi Matsumoto
巨人入団直後の斎藤雅樹を語るときに、必ずついて回る2つのエピソードがある。
1つは当時の二軍守備走塁コーチだった須藤豊が、その抜群の運動能力に惚れ込み遊撃手として育成すべく野手コンバート案を進言したという話。そしてもう1つは、その須藤の進言を受けていた当時の監督、藤田元司がオーバースローからサイドスローへと投げ方を変えるアドバイスをして、そこから投手としてその才能を花開かせたという逸話だ。
遊撃手としての才能
以前に最初のエピソードについて須藤に聞いたことがある。
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「入ってきた最初の1983年の宮崎キャンプですよ。投内連係の練習を見ていたら、とにかく下半身のバネがすごくて、フィールディングの身のこなしが光っていた。それですぐに『俺に預けてくれたら、今後10年、巨人はショートに困らない内野手に育ててみせる』って、当時の二軍監督だったクニさん(国松彰)に言いましたね」
ただ、おいそれとコンバートできない事情もあった。巨人という球団にとって斎藤は、曲がりなりにも投手としてドラフト1位で獲得してきた選手である。
「クニさんも藤田さんも、そういうスカウトのメンツも考えたんだと思いますよ。だから投手として何とかならんかと……」
内野手コンバート案が実現しなかった理由を須藤はこう推察した。そんな中、藤田が突然、二軍が練習する多摩川グラウンドにやってきたのは83年7月のことだった。
藤田がかけた驚きの一言
「それまでファームの試合では上手投げで2試合くらい投げて、結構打ち込まれていました。二軍の首脳陣も『大丈夫か?』って感じだった。それで須藤さんの内野コンバート案の話もあったので、藤田さんに実際にピッチングを見てもらって、その上で意見を求めようとしたんじゃないですか。そうじゃなかったら一軍の監督がシーズン中に、わざわざ二軍の多摩川グラウンドに来ないでしょう」
斎藤はその時のことをこう振り返った。
そして藤田が見守る中、多摩川グラウンドの粗末なブルペンで斎藤の“御前投球”は始まった。するとじっと見つめていた藤田が、いきなりこう声をかけたのである。
「ちょっと腕を下げてごらん」
大袈裟でなく巨人の一つの歴史が動いた瞬間である。ピッチングを見ていた藤田が、斎藤の腰がオーバースローなのに縦ではなく横回転していることに気づいて送ったアドバイスだった。