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「あれ、タケ(久保建英)の本心ですから」“五輪・W杯で連続落選”日本代表DF菅原由勢が報われたゴール「一番感動した」瀬古歩夢と谷晃生の祝福
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林遼平Ryohei Hayashi
photograph byZhizhao Wu/Getty Images
posted2025/03/13 17:02
日本代表24年11月シリーズでの一コマ。久保建英とコミュニケーションを図る菅原由勢
「東京五輪に選ばれてのほほんとしていたら、今プレミアリーグにはいられないだろうし、そのままカタールW杯に選ばれたらある程度の達成感を感じてしまって、もっと上にという意欲が減っていた可能性だってある。2年連続で泥に投げ捨てられるかのような経験をしたんで。 だったら、もうここを最底辺として、ここから這い上がるだけだという考え方になった。
東京五輪やW杯に出られなかっただけでサッカー人生が終わるわけではない。これから先の人生、巻き返せるというか、それを覆せるチャンスは十分に転がってるのもわかっていた。だから、絶対に成長して、もっといいサッカー選手になって、代表に帰ってきてオレがW杯でチームを勝たせる、と。そういう覚悟ですよね。これまでの経験が今のメンタルや考え方に繋がっていると思います」
3バックになって再び控え…「自分の責任です」
カタールW杯後、第二次森保ジャパンにおいて、菅原は主力を担う時期が続いた。敵地でのドイツ戦で見事なアシストを見せれば、北中米W杯アジア2次予選のシリア戦ではトリックFKからA代表初ゴールを記録した。これまでの悔しさをぶつけるように、ピッチを駆け回る菅原の姿があった。
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ただ、再び日本代表での立ち位置が変わったのが2024年だった。 アジアカップの途中からスタメンの機会が少しずつ減っていくと、チームも4バックから“攻撃的3バック”のシステムに変更。毎回、代表メンバーには招集されるが、それを機になかなか出場機会を得られなくなった。
第三者の視点に立つと、フォーメーションの変更によってスタメンの座から落ちたように見える。だが菅原の考え方は「使わざるを得ない状況を作れない自分の責任です」と、少し違う視点で語る。
「フォーメーションを変えるということは、オプションを増やすという見方もできますけど、多分4バックに対して疑問点があったからそういうチャレンジになったと思うんです。結局、そのきっかけは自分にあると思っていて。僕がスタッフ陣を満足させられるようなパフォーマンスさえしていれば、3バックをやるというオプションにならなかった可能性もあるなと。
仮にパフォーマンスを維持できていれば、3バックになったとしてもウイングバックだったり、3バック右だったりの機会は絶対にあったと思うんです。だから、試合後のインタビューでも言いましたけど 、他に目を向けたいと思っていた時期もありました。でも、結局違うなというのもあって」
インドネシア戦で見せた「自分の存在価値」
「試合後のインタビュー」というのは、昨年11月に行われたW杯アジア最終予選・インドネシア戦の時の話だ。
“攻撃的3バック”が採用された2試合目から出番を失っていた菅原にとっては、6試合ぶりに訪れた出場のチャンスである。

