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「江夏の引退試合を甲子園でやらせてください」に阪神オーナーがNO…大投手・江夏豊が泣いた日「メジャー可能性75%→クビに…現役引退するまで」 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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posted2025/02/14 11:06

「江夏の引退試合を甲子園でやらせてください」に阪神オーナーがNO…大投手・江夏豊が泣いた日「メジャー可能性75%→クビに…現役引退するまで」<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

1985年1月19日、多摩市営一本杉球場での「江夏豊たった一人の引退式」

 酒の力も侮れないもので、岡崎満義はすぐさま会社の許諾を取った。当初の計画は「場所は阪神甲子園球場」「相手は往年の巨人ナイン」「無観客でナイター」「江夏が巨人ナインと1人ずつ対戦して終了」と至ってシンプルなもので、実は雑誌で独占的に報じたかっただけなのかもしれない。

 その後、「引退式」はアップデートを繰り返しながら甲子園球場の許可を取るところまでこぎつけた。『日刊スポーツ』(1984年12月19日付)は「江夏うれしい引退式 1月下旬甲子園」と一面で大きく報じ、名球会の参加が内定したこと、武田鉄矢、山藤章二(イラストレーター)の協力が得られたこと、『Number』編集部が開催に向けて動いていることを伝えている。

 しかし、その後、球場サイドが「阪神球団のOKがないと使用不可」と回答したのを受けて『Number』の一原雅之編集長(当時)は阪神タイガースの久万俊二郎オーナー(当時)宛に手紙を書き送るも返事はNO。「今季限りで引退した藤田平の引退試合も決まっていない」「他球団の意見を聞かないことには決められない」「1月19日は自主トレ期間なので選手の邪魔になる」というのが主な理由で、岡崎は他球場の使用を検討するが、いずれも不調に終わった。

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 そこで、候補地として浮上したのが、多摩市営一本杉球場(現・多摩市立一本杉公園野球場)だった。多摩市民に広く開放されているが、1月19日土曜日は空いており、使用料は4時間で1万2000円。両翼91m、中堅120mと甲子園と同じサイズで、前年はイースタンリーグ公式戦も行われている。

 併せて、江夏の愛読書である司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』の主人公・土方歳三が武州多摩の出身ということからも引退試合にうってつけ。球場の名称も往年のヒット曲『別れの一本杉』(春日八郎)を彷彿とさせるとあって、開催が正式に決まる。タイトルは「江夏豊たった一人の引退式」と名付けられた。

ビートたけしも落合博満も登場

 1985年1月19日、一本杉球場には日本中からファンが集結し、正午の開門と同時に1万6000人の超満員の観衆で埋め尽くされた。完全手作りイベントということもあり、スタッフの半数は文藝春秋の社員が駆り出され、残りの半分は多摩市役所の職員、多摩市スポーツ指導員、電通社員、多摩市のボランティアである。

 当日のタイムテーブルは以下の通り。

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