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「じつは大谷翔平に“逃げられてしまった”」なぜ大谷は“甲子園常連”仙台育英高に行かなかった? 当時の監督が証言する「お父さんと練習見学に来た日」 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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posted2024/07/14 11:04

「じつは大谷翔平に“逃げられてしまった”」なぜ大谷は“甲子園常連”仙台育英高に行かなかった? 当時の監督が証言する「お父さんと練習見学に来た日」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

花巻東高校時代の大谷翔平(当時17歳)。じつは大谷が仙台育英高に進学していた可能性があった

佐々木 練習試合はよくやりましたよ。入学してすぐのときもやって、ライトで4番を打ってたんです。大谷が仙台育英に見学に来ていたとき、他の選手も目撃していたので「あいつ! あいつ!」って。僕もあのときのあいつか、と。4番を任されるくらいだから、懐は深かった印象がありますね。でも、いちばん衝撃だったのは3年春の東北大会かな。花巻東は準々決勝で盛附(盛大附属)とぶつかってね。その勝者とうちが戦うことになるんで、ネット裏で観てたんです。当時、盛附のエースは出口(心海)といって、左で145キロぐらい出るピッチャーだったんです。大谷はその出口のインコースのボールをバックスクリーンに運んだんですよ。それもマン振りするわけでもなく。バックスクリーンへのホームランって、高校生だとなかなかないですからね。なのにぎりぎりじゃなく、ちゃんと入りましたから。あれを超える衝撃は今もないですね。甲子園で大阪桐蔭の中田翔(中日)のホームランを見たときは、たいしたもんだなとは思いましたけど、もうちょっと攻め方あるだろという感じでしたから。

「投手として、すごい感じではなかった」

――投手としての印象はどうだったのですか。

佐々木 実際に見た印象だと、取り立ててすごいという感じではなかったですね。(佐藤)由規がうちにいたとき(2005年~2007年)、僕は毎日158キロぐらいのボールを見ていたので。さほど体が大きいわけでもないのに、なんでこんなにスピードが出るんだろうと。それが由規だったんですよ。練習試合のときとか、160ぐらい出ていたので。どこにも無理のないフォームだからこそ、あれだけ出たんでしょうね。だから大谷ぐらい大きくて、しなりもあったら150キロ以上出ていても驚くほどでもないんですよ。

――由規のストレートもすごかったですもんね。

佐々木 甲子園の最速記録を持ってるの、今も由規なんです。3年夏に出て、155キロをマークしているんですけど。大谷が3年夏に甲子園に出たら塗り替えられるだろうなと思っていたら、出てこなかった。また盛附に負けて。次に塗り替えられるなと思ったのは大船渡高校の佐々木朗希です。朗希も出てきたら由規は負けるなと思っていたら、その大船渡は花巻東に負けて出場できなかった。だから、由規がまだトップに君臨できているのは運だけなんです。

<続く>

#2に続く
「廃校になった小学校を野球部寮にしました」過疎地の高校野球部は今…“毎年300人が減少する町”から甲子園出場「監督は元仙台育英の名将」

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