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「じつは大谷翔平に“逃げられてしまった”」なぜ大谷は“甲子園常連”仙台育英高に行かなかった? 当時の監督が証言する「お父さんと練習見学に来た日」

posted2024/07/14 11:04

 
「じつは大谷翔平に“逃げられてしまった”」なぜ大谷は“甲子園常連”仙台育英高に行かなかった? 当時の監督が証言する「お父さんと練習見学に来た日」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

花巻東高校時代の大谷翔平(当時17歳)。じつは大谷が仙台育英高に進学していた可能性があった

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中村計

中村計Kei Nakamura

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じつは中学3年の大谷翔平は仙台育英高の練習見学に行っていたという。なぜ大谷は“甲子園の常連”仙台育英高を選ばなかったのか? 当時仙台育英高の監督だった佐々木順一朗氏(現・学法石川高監督)に聞いた。【全2回の前編/後編も公開中】

◆◆◆

「仙台育英の願書を自宅に送った」

――大谷翔平選手は、ひょっとしたら仙台育英に入っていたかもしれないんですよね。

佐々木順一朗監督 中学3年生のときかな、練習を見に来たときの記憶はあります。背、でかかったですから。もう、190センチ近くあったんじゃないかな。ただ、とにかく細かったんですよ。お父さんも一緒に来ました。僕の品定めに来たんじゃないかな。今思えば、ですけど。

――どんな指導者なんだろう、と。

佐々木 お父さんもシニアの監督でしたからね。どういう人なのかなということで見に来たのだと思います。

――大谷選手とは、どんな話をしたのですか。

佐々木 僕はまったく変わらずこんな感じでしたね。「でけえなぁ」とか「あんまり食べてねえんだろ。そんな細いままじゃ折れちゃうぞ」とか冗談しか言ってないと思います。あとは、来たかったら来たらいいという話はしたと思います。願書も家に送った記憶はありますね。いちおう来てくれた中学生には、もしうちに来る気があるなら、この願書で受けてねということで送っていたので。ただ、その後は、まったく音沙汰がなかったですね。

「菊池雄星も“逃げられてしまった”」

――中学時代の大谷選手の噂は聞いていたのですか。

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