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野ボール横丁BACK NUMBER
「じつは大谷翔平に“逃げられてしまった”」なぜ大谷は“甲子園常連”仙台育英高に行かなかった? 当時の監督が証言する「お父さんと練習見学に来た日」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2024/07/14 11:04
花巻東高校時代の大谷翔平(当時17歳)。じつは大谷が仙台育英高に進学していた可能性があった
佐々木 まったく知りませんでした。僕は中学生の試合を見に行ったこともないですし、あいさつに行ったこともなかったので。実は菊池雄星も来たことがあるんですよ。仙台育英に興味があったらしくて。でも、彼のこともまったく知らなかったんです。会ったときに「いいピッチャーらしいね。君が来てくれるなら嬉しいよ」と握手をしたんですよね。ただ、本人からしたら僕が知らなかったというのはショックだったかもしれませんね。その年の夏、仙台育英が甲子園に出て、甲子園から帰ってきたら花巻東(高校)の佐々木洋がグラウンドにいたんです。「すみません、菊池雄星は私にあずからせてください」って。「えっ!」って感じですよね。こちらは獲ろうとしていたわけでもないんで。でも、洋がそう言いに来たくらいだから、菊池雄星も最初は仙台育英に来るつもりだったのではないでしょうか。来たかったら来ればいいというスタンスだったので、そうやって1回見に来ただけで逃げられてしまった選手はたくさんいますよ。
――われわれが思っている仙台育英のイメージとはぜんぜん違いますね。
佐々木 僕が監督だった時代(1995年~2017年)はそんなもんですよ。全国から集めやがってとか言われましたけど。松原(聖弥=西武)も大阪から来たのですが、早稲田大学の先輩の鍛治舎巧(県立岐阜商業監督)が大阪のボーイズリーグで監督をやっていて、よろしく頼むわと言って送ってきた選手なんです。だから、別に彼のことも知らなかったんです。勉強ができないのと、いたずらっ子だったので、松原はずっとベンチ外でした。けど、足だけは速かったんでね。明星大に入ったら1年春のときから4番で使ってくれて。明星はじまって以来のプロになったんですよ。上林(誠知=中日)は埼玉の選手なんですけど、最初、東北高校(宮城県)から引っ張られていたらしいんです。それで、その帰りにうちも見に来てくれて。そこで僕は「声をかけてくれた高校に行った方がいいんじゃない?」とか言うわけです。東北は僕の母校でもありますしね。そうしたら、その僕の態度が悔しかったらしくて、帰りに父親と牛タン屋で食事をしているとき「おれ、育英に行く」っていう風になったと聞きました。
「あれを超える衝撃は今もない」
――菊池選手もそうですけど大谷選手も、うちに来てくれていたら……とあとで後悔したことはないのですか?
佐々木 それはありますよ。ただ、こういうタイプなんで、無理なんですよ。積極的に獲りに行ったとしても、何て言えばいいのかわからないんです。どうしても、ふざけちゃうんですよ。こういう僕の感覚がいいなと思ってくれる選手と一緒にやりたいというのもありますし。うちに来るかよそへ行くか迷っている選手を無理矢理獲るのも嫌なんです。うちに来たって、うまくいくかわからないですから。そこは自分で決めて欲しいんですよ。
――大谷選手とは練習試合などで何度となく対戦しているのですか。