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「4階から飛び降りようと…」駒田徳広が苦しみ続けた“王監督への負い目”…同僚の陰口、巨人ファンからは罵声「駒田、お前はもういいよ!」 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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posted2024/07/06 11:01

「4階から飛び降りようと…」駒田徳広が苦しみ続けた“王監督への負い目”…同僚の陰口、巨人ファンからは罵声「駒田、お前はもういいよ!」<Number Web> photograph by KYODO

一本足打法の習得を断念した1985年の駒田徳広(当時22歳)。王貞治監督の期待に応えられなかった“負い目”は現役引退まで消えなかったという

王の思いを無下にしてしまう無念さ……

 こうして、駒田はついに決意した。

「最初にコーチに伝えました。当然、コーチから王さんに伝わっていると思っていましたが、実際は伝わっていなかったのです」

 自分の耳に入る前に『報知新聞』の記事で駒田の決意を知った王が、本人に事情を聞くために合宿所にやってくることになった。4階の自室で駒田は到着を待った。

「王監督を待っている間は、“死ななくちゃいけないな”って思っていました。そんな勇気もないのに、4階から飛び降りようと考えていましたから……」

 そして、ついに王と対面する。

「これは自分で決めたことなのか?」

「はい、自分で決めました」

「そうか、わかった。これからは自分自身でしっかり練習するんだぞ」

「はい……」

 短い問答だった。王は何も詮索しなかった。

 その後、すぐに王自ら荒川の下に足を運んで謝罪したということは後で知った。「取り返しのつかないことをしてしまった……」という思いだけが、駒田の胸に残った。

 結局、一度も日本一になれぬまま、88年限りで王は監督を退くことになる。

 一方、再び二本足に戻した駒田は少しずつ才能を開花させてレギュラーポジションを勝ち取り、球界を代表する選手となっていく。89(平成元)年には近鉄バファローズを撃破し、藤田監督の下で日本一に輝き、打率・500で日本シリーズMVPも獲得した。

「その後、いくら成績を残してもずっと王さんに対する負い目は消えませんでした。その思いは、現役を引退するまでずっと続きました」

<前編とあわせてお読みください>

『プロ野球アウトロー列伝 異端の男たち』(長谷川晶一著/大洋図書)『プロ野球アウトロー列伝 異端の男たち』(長谷川晶一著/大洋図書)
#1から読む
パンツ一枚で日本刀を振り回し…「巨人を去った満塁男」駒田徳広はなぜ一本足打法を断念したのか? 朝方まで猛特訓も…“王貞治二世”の苦悩

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