近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
野茂英雄の会見直前、近鉄は球団旗を外した…「メジャー挑戦」電撃発表の舞台裏 記者が明かす「野茂と近鉄の視点は、完全に違っていた」
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byJIJI PRESS
posted2024/05/02 11:05
1995年1月9日、メジャー挑戦表明の会見を行った野茂英雄。その直前まで続けていた近鉄との交渉を当時の番記者が振り返る
会見場から外される近鉄球団旗
会見に先立って行われた野茂と球団との最終交渉で、野茂への説得を球団側が最終的に断念し「近鉄退団、メジャー挑戦」が決まったのだろう。
球団の会見場に広報担当が入ってくると、会見席の背後にある球団旗を外し始めた。
それが、もう“答え”だった。
会見場には多くの報道陣が集結した。椅子が邪魔になって、部屋に入り切れないほどの人だかりができたほどだった。他社の番記者とも話し合った上で、記者クラブ側の総意として、私は広報に「会見場内の椅子を、すべて取り除いてほしい」とお願いした。だから、野茂の会見の際、野茂の前にいた私たち記者団は、椅子ではなく、部屋のフロアに座り込んでいた。
幹事社だった私が、最初の質問を投げ掛けることになった。
「はい」という答えが出ないのは、分かっていた
「サインはしましたか?」
契約更改交渉の、お決まりの第一声。「はい」という答えが出ないのは、分かっていた。
「今日の交渉で、僕自身、大リーグに挑戦したいということで、球団からも『行ってこい』という形になりました」
固定観念が、判断を狂わせた
会見後、スポーツ報知のベテラン記者に、ふと呼び止められた。
「惜しかったな。お前、半分、合ってたんやけどな」
もう一歩、踏み込めなかった。固定観念が、判断を狂わせた。
あれから30年近く。幸いなことに、今もなおプロ野球取材の現場に立たせてもらっている自分にとって、あの一連の取材で得た教訓は、決して忘れることはない。
野茂、メジャー挑戦へ――。
新たな歴史の扉が開かれたその瞬間に立ち会えたことを、今は感謝している。
<つづく>