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「テレビカメラを客にぶち当てて…」千代の富士、結婚パーティーで親方が“マスコミ不信”に…相撲協会が結婚披露宴「テレビ中継NG」を決めた日
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byKYODO
posted2024/03/09 11:03
1982年9月30日、横綱・千代の富士の結婚披露宴で(東京・千代田区のホテルニューオータニ)
1982年初めには福岡在住の女性と結婚の約束をし、師匠の九重親方(元横綱・北の富士)と彼女の両親からも許しを得ていたが、やがてマスコミに感づかれる。5月14日にはついに部屋に報道陣が殺到、その攻勢に押されたのか、親方がとうとう千代の富士は10日後に婚約を発表すると漏らしてしまう。相手の福岡の自宅にも取材が押し寄せ、事態を沈静化するため、正式の記者会見より1週間早く彼女は単独で会見を行わざるをえなかった。
1982年9月30日のホテルニューオータニでの披露宴には、北の湖を上回る約2億円をかけたとされる。その模様はテレビ中継もされた。会場には取材席を設けて、マスコミには事前にそこで取材してもらうよう頼んでいたが、いざ開宴すると、芸能レポーターたちは会場を走り回った。《来賓や招待客にテレビカメラをぶち当てたり、ご婦人方の和服の裾にコードをからめて倒しそうになったり。それでも知らん顔です》と、九重親方はマスコミ不信をあらわにしている(九重勝昭『爆笑大相撲』日之出出版、1983年)。
「婚約を先にバラされ…」激怒した親方
やはり人気の高かった大関・若嶋津が、人気歌手の高田みづえとの婚約をスポーツ紙にスクープされたのは1984年12月だった。北の湖のケースと同じく、このときも師匠の二子山親方(元横綱・初代若乃花)は新聞で初めて知り、激怒したという。相手が歌手ということも、相撲関係者には首肯しがたいものがあったようだ。そのため結婚は一時暗礁に乗り上げる。それでも若嶋津は、年が明けて1985年の初場所後、どうしても結婚したいと出身地・鹿児島選出の代議士・山中貞則に仲人をお願いし、あいだに入ってもらうことで親方からやっと許しを得た。山中が2月の婚約発表後に明かしたところでは、前年暮れの紅白歌合戦で高田が見せた涙に、心を動かされたという(『週刊文春』1985年2月14日号)。
注目のカップルだっただけに、1985年9月27日のニューオータニでの披露宴は、テレビ朝日が独占中継した。だが、その4カ月後、やはり人気大関だった朝潮の結婚でもテレビ中継の話が持ち上がるも、日本相撲協会から「待った」がかかり、以後、北天佑、旭富士、大乃国といった人気力士の披露宴にはテレビカメラは入らなかった。
高田みづえは結婚とともに芸能界を引退し、覚悟を決めて相撲界に飛び込んだ。