「彼はバッティングケージの横で、ゴロ捕球を始めました。大体、120分単位で練習が進むのですが、落合は2時間延々とゴロ捕球をしていました。経験者ならわかりますが、中腰の体勢で左右にボールを振られるゴロ捕球は、30分もすれば足がパンパンになるくらいしんどい。だから2時間するってすごいことなんです。落合は走るのが大嫌いだから、ゴロ捕球を選択したんでしょうね。なるほどなと感心しましたよ」

　その後、バットを持つと約束した5クール目に入ると、落合は「僕はフリーバッティングに入らなくていいです。ティーだけしますから」と広野に言った。

「また、こいつは何を始めるんだろうと思っていると、落合はバックネットを越すように、ティーのボールを打ち上げるんです。ボールの下を打って空高く上げる。周りはみな何してんだろうとポカンとしてる。私は『それ何の目的なの？』と落合に聞きました。すると、落合は『ボールの芯を打っても上には行かない。打球の軌道を上げるためには、ボールの下3分の1を打ってスピンをかけないといけないんです。そのスピンをかけてネットを越す練習してるんですよ』と言うのです。そこからは、ひたすらボールを打ち上げていました」

ロッテ時代（1985年撮影）　©BUNGEISHUNJU

落合「1球も振りませんよ」

　この状況を前出の田中も目撃していた。

「スピンをかけてバックネットを越すぐらいのフライを打っていました。落合さんはいつもボールの打つ位置を気にしていましたね。試合でも、ガーンと高く上がる強いポップフライは落合さん的にOK。あと数ミリ上を打っていたらホームランだからです。落合さんはスピンをかけて、すべてホームランを狙っていると言っていました。当時、僕らが教えられた考えは『ヒットの延長がホームラン』。しかし、落合さんにとっては『ホームランの打ち損ないがヒット』なんです」

　周囲が不思議に思いながらも、ロッテのキャンプは終了し、オープン戦に突入していく。しかし、ここでも落合は異例とも取れる発言をした。当然、4番が出ないわけにはいかないが「1打席でいいですか。それと1球も振りませんけど」と落合は言うのだ。

1985年、セ・パで三冠王を獲得したランディ・バースとのツーショット　©BUNGEISHUNJU

「まだ、落合は実戦で振るのは早いと思ったんでしょうね。またマスコミが騒ぐぞと思いましたが、例のごとく稲尾監督は『いいんじゃないの』と了承。僕は一塁コーチャーで見ていましたが、本当に1球も振らずにフォアボールになったんです。試合後、新聞記者に『落合さんが振らなかったですが、なぜですか』と質問されましたが、『今日はいかにボールを見るかがテーマだった』と適当に言ってごまかしましたよ」

　前編記事の冒頭での「私は落合の鏡になりました」という広野の言葉の意味は、この1985年シーズンに明らかになる。後編では、落合の三冠王の裏にあった鏡＝広野の役割をお伝えしよう。

＜続く＞