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ロッテ落合博満が怒った「日本のピッチャーはだらしない」あの落合が2時間休まず“ゴロ捕球”…2年連続三冠王、落合の知られざる“鬼練習”
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byKYODO
posted2024/02/22 17:04
1978年ドラフト3位指名、25歳でロッテに入団した落合博満。1982年、85年、86年と三度の三冠王を獲得している
「あるオープン戦で、私は1打席目にライト前ヒットを打ち、次の2打席目で粘ってフォアボールを選びました。その夜、落合さんから呼び出されてホテルのラウンジに行くと、稲尾(和久)監督、ピッチングコーチの佐藤ミチ(道郎)さん、バッティングコーチの広野さんの4人が飲んでいたんです。そこで落合さんは『お前は今日よくやった。ヒットを打った後は打ちにかかって凡打するけど、あそこでフォアボールを取れたのは大きいぞ』と言ってくれたんです」
ちなみに、田中は落合がかつて所属していた社会人チーム、東芝府中の後輩でもある。社会人時代にともにプレーはしていないが、落合は田中を自身の自主トレに呼ぶなど後輩思いの一面もあったようだ。
「日本のピッチャーはだらしない」
こうして広野はコーチ就任から1年間、落合のバッティング理論を聞き続けた。「聞きたいことがどんどん出てくる。もはや取材でした」と広野は話す。引退後、中日スポーツの記者を務めていた広野ならではの感覚だ。かくして落合のバッティング理論の薫陶を受けた広野は、彼の考えを深く理解していった。
しかし、この1984年シーズンは、落合は阪急ブレーブスのブーマーに三冠王の座を譲ってしまう。これには相当忸怩たる思いがあったようで、落合は広野にこう愚痴をこぼしたという。
「シーズン終わりに、風呂場で落合とたまたま一緒になりました。そのときに彼は『日本のピッチャーはだらしないと思いませんか。外国人選手に三冠王を取られて悔しくないんですかね』と珍しく憤っていました。『そんなに悔しいなら来年三冠王取ってみろ』と私が言ったら『絶対取りますよ』と。でもね、その年だって落合は打率.314、ホームラン33本、94打点と立派な成績なんです。3割30本100打点だったら4番の条件としてはクリアしているのに、もはや落合はそんな次元にいなかった」
落合への「初めてのアドバイス」
広野とそんなやりとりがあった翌年の1985年、落合は三冠王を獲得し、有言実行を果たす。そして、1986年も2年連続で三冠王を獲得した。
だが、熱意や闘志だけでは三冠王は取れない。2年連続の快進撃の裏側には何かがあったはずだ。