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鹿島の10番・本山雅志が、いま明かすJリーグ連覇中の”体の異変” 手術は8時間におよび「腎臓を4分の1残すことに成功したが…」
posted2023/08/27 11:05
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE
鹿島アントラーズに決めた理由
本山雅志が18年間在籍した鹿島アントラーズで獲得したタイトルは実に14(リーグ6回、リーグカップ5回、天皇杯3回)にも及ぶ。今年8月にはトップチームの監督を務める岩政大樹、青木剛とともにアントラーズ功労賞に認定されている。
そもそもなぜ東福岡高から鹿島への加入を決めたのか。
「練習に参加したとき、メチャメチャ厳しかったんですよ。周辺に遊ぶ環境がないのも、いいなって思いました。ミツ(小笠原満男)、コージ(中田浩二)ら同期の選手も結構入っていたし、この環境ならうまくなるんじゃないかって思えたのが決め手でしたね」
加入2年目、ワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)のあった1999年からキレのあるドリブルを武器に出場機会を増やしていく。切り札的な役割を担い、2002年からはジーコ、レオナルド、ビスマルクがつけた10番を託された。本山はアントラーズの希望であった。
しかし常勝軍団と呼ばれたチームは2003年以降、4シーズンに渡ってタイトルから見放され、先輩の鈴木隆行、柳沢敦、同期の小笠原、中田らが次々に欧州へ渡っていった。変革期にあるなか、10番は鹿島にドッシリと根を下ろした。ジーコジャパンではA代表に定着しており、国内外を問わず彼に興味を持つクラブがなかったわけではない。
「もちろん僕にだって海外でプレーしたいなって思った時期はありましたよ。でもちょうどアントラーズのサッカーを凄く面白く感じるようになっていたし(自分が)出ていくのはちょっと違うかもなって」
再び、タイトルが当たり前のアントラーズに。口に出すタイプではないものの、その決意はプレーを見れば一目瞭然だった。小笠原が夏に復帰した2007年シーズンからJ史上初となるリーグ3連覇は本山の存在抜きに語れない。
アントラーズ復活の兆しも、体に異変が…
一度も首位に立つことなく9連勝を飾って逆転優勝したあの2007年シーズン、本山はプロになって初めてリーグ戦全試合に先発出場している。