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「衝撃的だった」黄金世代の10番・本山雅志が語る小野伸二とワールドユース決勝「あの大会でパッと頭に出てくる思い出といったら…」
posted2023/08/27 11:04
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
AFLO
ヌルヌルって抜けていく三笘薫を見るたびに、スルスルってかわしていく本山雅志を思い出す。剛というより柔。ひょいひょいと、相手を軽くいなす感じはどこか似ている。
20年前、日本の天才ドリブラーと言えば真っ先に彼の名前が挙がった。ボールを持つたびにワクワクの声が上がり、何かが起こるんじゃないかというドキドキの期待感。そんな雰囲気を醸し出せる稀有なアタッカーであった。
彼のフットボール履歴書は実に華々しい。
技術レベルの高さは天才
東福岡高3年時に史上初となる3冠(インターハイ、全日本ユース、高校選手権)を達成し、1999年のワールドユース(現在のU-20ワールドカップ)では準優勝に貢献。小野伸二とともに大会ベストイレブンに選ばれた。鹿島アントラーズの黄金期を築き、これも史上初のリーグ3連覇を達成するなどクラブに数多くのタイトルをもたらした。ワールドカップ出場経験こそないものの、栄冠は本山に輝いていた。
その一方、腰椎椎間板ヘルニア、水腎症などケガや病気に悩まされて引退の危機にさらされつつも、そのたびに乗り越えてきた。黄金世代の仲間たちが次々にスパイクを脱いでいくなかで、J2、J3を経験してマレーシアにも渡った。43歳まで現役を続け、昨季限りで引退。現在は鹿島に戻り、アカデミースカウトに就任し、育成年代のスカウト業務のみならず、アカデミーの巡回指導も行なっている。
外から見れば、技術レベルの高さは天才。だがそのワードを向けただけで、彼はすぐに首を横に振る。
「僕なんて大した選手じゃない。能力的に走るとか、跳ぶとか低くて、それでもサッカーが大好きだからたくさん練習してきた。アントラーズのアカデミーに携わることができるので、そういったところも落とし込んでいけたらいい。たとえそういった能力がないと感じる選手でも、頑張って練習すれば僕くらいにはなれるんだよ、と。逆に能力があって努力できたら、もっとうまくなるんだよ、と。環境って凄く大事だと思うんです。僕自身、小、中学時代、東福岡、鹿島アントラーズ、ギラヴァンツ北九州、マレーシアのクランタン・ユナイテッド……みんなに育てていただきましたから」
強豪・東福岡高へ進学
才より大切なこと――。本山雅志の現役キャリアは己の信念を貫いた道のりでもあった。