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本山雅志44歳が語った引退秘話…2度目の契約満了→実家の鮮魚店でアナゴをさばく日々→初の海外挑戦「40歳過ぎてやれると思ってなかった」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/08/27 11:06
今年4月にカシマスタジアムで現役引退を発表した本山雅志
鹿島が契約満了→初めて移籍先を探すことに
36歳になっていた本山に引退の二文字はなかった。
体は動けていたし、まだまだサッカーを欲していた。
鹿島アントラーズでチームメイトだった同期の中田浩二、同じく新井場徹はひと足先にスパイクを脱ぎ、黄金世代を見渡しても小野伸二、遠藤保仁、そして小笠原満男ら現役を続けている選手のほうが少なくなっていた。
2015年シーズンで契約満了となり、初めて移籍先を探すことになった。「どのレベルでもいいから海外でやってみたい」と海外移籍を模索しようとしたが、早い段階でオファーを受けた地元であるギラヴァンツ北九州への移籍を決める。
当時J2の北九州は柱谷幸一監督のもと2015年シーズンは7位でJ1昇格プレーオフ出場を逃がしたものの、新スタジアムも着工してJ1ライセンス交付の課題をクリアしたことで昇格への機運が高まっていた。補強も進み、アントラーズで数多くのタイトルに絡んできた経験豊富な地元スターまで加わった。本山もはっきりと「J2優勝、J1昇格」を目標に掲げた。
しかし何かちょっとした歯車が狂っただけで結果が出なくなるのがJリーグの怖さでもある。開幕戦こそ勝ったものの、第2節から11試合連続未勝利でチームは下位に低迷。ついには最下位に転落してしまう。年長者である自分の責任を痛感しつつも、負の連鎖から抜け出すのは簡単ではなかったという。
「アディショナルタイムに入ってとか、終盤で失点することがもの凄く多くてゲームをうまく締められない試合が続きました。力が足りないってことだとは思います。J1でやるサッカーを目指していたなかでボールを奪ってから速く攻める意識はあっても、結果がついてこないこともあって前と後ろのポジションで意識がズレていたり、チームとしてなかなかうまくいかない部分がありました。能力の高い選手は多かったし、うまくいくことを信じてやり続けるしかなかった」
一時は残留圏内に入ったものの、長続きはしない。降格圏内にとどまり、本山も勝負となる最終節、モンテディオ山形戦の前に紅白戦で右ひざを負傷してしまう。右ひざ前十字じん帯損傷の大ケガだった。
後半戦はずっとスタメンで出場していただけに、経験のある本山の不在は痛かった。チームは0-3と完敗を喫して最下位に転落し、J3への自動降格が決定した。
引退について「丸3日考えたんですけど…」
本山はプロになって初めて引退を考えたという。