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鹿島の10番・本山雅志が、いま明かすJリーグ連覇中の”体の異変” 手術は8時間におよび「腎臓を4分の1残すことに成功したが…」
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二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/08/27 11:05
![鹿島の10番・本山雅志が、いま明かすJリーグ連覇中の”体の異変” 手術は8時間におよび「腎臓を4分の1残すことに成功したが…」<Number Web> photograph by J.LEAGUE](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/e/2/700/img_e291f5fbb94b010d5faf4a4efe2e69f6321258.jpg)
鹿島アントラーズで18年にわたりプレーした本山雅志。2008年は腎臓の病気を抱えながらもリーグ戦32試合に出場し鹿島の連覇に貢献した
自分がどう見られようと別に関係ない。アントラーズが勝つために、精いっぱいやるだけのこと。リーグ2連覇を達成し、本山も32試合に出場。病気の事実も公になった。
オフに入ってすぐに実施した手術は8時間にも及んだ。右の腎臓を4分の1ほど残すことにも成功した。
「圧迫されていた尿管を切って、正常な位置に血管を戻したんです。切ったところに管を入れていたので、1カ月ぐらい安静にしなければならなかった。でも、手術をしたおかげで痛みはなくなったし、普通に水分を摂れるようになりました」
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痛みからやっと解放された。と思ったら、今度は持病の椎間板ヘルニアだ。腰の左側がしびれたままプレーを続けていた。ハードな練習が続くと前屈ができず、雨の日は余計に重く感じた。寝そべって足を上げようとしても上がらない。トレーナーは懸命にケアしてくれて一時的に快方に向かっても、なかなかそれが続かない。
試合中、当たりの強いコンタクトになると、ピッチにうずくまった。本山はフィジカルが弱い。そんな見方もないわけではなかった。
アントラーズが勝つために、体を張って戦い続けた。2009年シーズン、チームはついにリーグ3連覇を達成。病気の次はケガに負けず、シーズンを戦い抜いたのだ。一つ間違っていたら引退の危機にさらされてもおかしくなかった。
オフ中に腰の状態が回復することはなく、ブロック注射の効果もなくなってきた。もはや限界と覚悟を決め、2010年2月に手術に踏み切っている。
高2以来ずっと苦しめられてきた腰痛は嘘のように消えた。リハビリに時間は掛かったものの、ようやく思う存分サッカーがやれるという期待感が自分のなかに広がった。
しかしながら――。
誇りと責務の18年間「感謝しかない」
復帰以降、体がなかなかフィットしていかない現実に直面する。ようやく調子が上ってきたと思ったら、決まって筋肉系のケガに見舞われた。腰は良くなっても、その繰り返し。それでも何とかするのが鹿島の10番である。コンディションを回復させて、2013年シーズンは4年ぶりに20試合以上の出場を果たしている。ただ30代なかばとなり、世代交代のあおりを受けることにもなった。細かいケガも相次いだ。そして2015年11月、クラブから契約満了が発表される。