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「あ、これはくるな」浅野拓磨が板倉滉を信じて走った瞬間…失意のW杯から4年、ドイツ代表GKノイアーをぶち抜く逆転ゴールを決めるまで
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byGetty Images
posted2022/11/24 17:00
ドイツから決勝ゴールを奪った浅野拓磨。カタールの地で4年前の悔しさを晴らした
シュツットガルトからハノーファーを経て、2019年8月には活躍の場所をセルビアの強豪・パルチザンに移した。慣れない東欧での生活は苦しい時期もあったが、その決意は揺らがなかった。
「(馴染みの薄い)セルビアのクラブに行ってプレーする時点で、世間は『浅野は終わったな』と思うかもしれないし、そこから日本代表に入るなんて想像もしないと思う。でも僕は必ず代表に復帰できると思っているし、信じている」
セルビアリーグやヨーロッパリーグでゴールを量産して日本代表に復帰すると、窮地に陥っていたアジア予選ではオーストラリア相手にオウンゴールを誘発。このシーンもドイツ戦と同じように後方からのボールを持ち込んだものだった。
昨年6月にはボーフムへ移籍してブンデスリーガに復帰。着実にカタールのピッチを見据えてきた。しかし、今年の9月10日のシャルケ戦の試合早々に右膝の内側靭帯を断裂。W杯出場に赤に近い黄色信号が灯った。
それでも、浅野は落ち込むことなくまだ“逆算”のイメージを膨らます。
W杯に間に合うことを信じて手術を回避し、体調管理とリハビリに全力を注いできた。10月中に復帰し、あとはメンバー入りを待つのみという状況まで持ち込んだ。
自宅までやってきた香川真司の激励
メンバー発表の前々日、浅野の自宅にロシアW杯で日本をベスト16に導いた香川真司がやってきた。
「大丈夫だよ、メンバーに絶対に入るよ」
浅野の悔しさを知る香川は激励してくれたという。
「真司さんは4年前も『この経験が必ず生きる』と言ってくれて、ずっと僕のことを気にしてくれていた。あの日もわざわざ僕のところまで来てくれて……。別れ際に『やれそうな気がします。真司さんからパワーをもらいました』とお礼を言いました。真司さんのおかげで落ち着いてメンバー発表の日を迎えることができました」
日本サッカーを牽引してきた偉大な先輩に背中を押された浅野は、26人のメンバーに名を連ねた。そして、日本にとってW杯史上初の逆転弾をドイツから奪い、全世界に衝撃を与えた。
「4年前から一日、一日努力してきました。今振り返っても、『あの時、ああしておけば良かったな』と思う日は一日もない。僕を信じてくれた人たちのために、何より自分のために準備をしてきましたから」
大金星の歓喜に沸く中、その中心にいる主人公はすでに次を見据えている。目標はコスタリカに勝利し、決勝トーナメント進出を決めてまだ日本が見たことがないベスト8の景色を目にすること。この決勝ゴールは、浅野が頭の中で“逆算”した1つの通過点なのかもしれない。
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