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大学野球PRESSBACK NUMBER
「勉強ばっかりして、野球部にいる意味あんのか?」東大野球部も就職氷河期世代は“30%超”が留年…エリートも当時は就職難に悩んだ?
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byKYODO
posted2022/08/04 17:01
写真は昨年秋の東京六大学野球。立教大を破って喜ぶ東大ナイン。文武両道のエリートたちも就職氷河期世代は就活に悩んだのだろうか?
「大学から怒られても仕方ないほど勉強をサボっていたので、4年間ではとうてい卒業できないくらい単位が足りませんでした。だから4年生のときは就活してもあまり意味がなく、とりあえず翌年の経験のために、とあるシンクタンクのグループ面接を受けました。そもそも練習に近い形で受けていたので、聞かれたことに遠慮なく答えていたら、すごく怒られました。『なんだキミ、1人だけ緊張感が違うぞ!』みたいな勢いで」(古谷嘉三)
就職留年以前の問題。いやおうなしの普通の留年である。
「ただ、もしも単位が足りていたとしても、それとは別に留年したかった。野球一色の4年間を過ごしたので、1年休憩して人間らしい日常生活をしたいし、噂に聞く東大の授業を体験してみたいという気持ちがあったんです」
東大野球部の4年間は、全体練習と個人での自主練を合わせれば一日の半分を野球に捧げ、空いた時間には野球部員同士でマージャンに興じる日々。「ほとんど野球部の人間としか会っていなかった」と古谷は苦笑する。普通の東大生に戻りたい気持ちが芽生えるのは、自然な流れだったのかもしれない。
「バブル崩壊で高校野球部の監督がいなくなった」
次に紹介するのは、1999年に卒部してやはり留年を選んだ済木俊行(県千葉)。三塁手や外野手として出場し、打線でも主軸を担った中心選手だ。
「僕の高校時代は、ちょうどバブル崩壊後。その余波で野球部の監督も本業の不動産ビジネスの都合で退任せざるを得ず、監督不在の状況になってしまいました。そこでOBたちが練習を手伝いにきてくれたんですが、その中に現役の早稲田慶應や東大の野球部員がいたんです。東京六大学野球をぐっと身近に感じたし、東大で野球をやれば、プロに行くような選手たちの球を打てるという怖いもの見たさの気持ちもあって、一浪して入学しました」(済木俊行)
済木が野球を始めたのは中学生のとき。しかも中2の後半からようやくマジメに取り組みだしたというから、野球エリートとは正反対だ。当時を知る者にとって、済木が大学まで野球を続け、チームの中心メンバーに座ろうとは想像できないだろう。
「スタートが遅かったぶん、自分の可能性を信じてしまったんですね。高校時代に強い学校と対戦したときも、わりといいバッティングができたし、自分はもっとやれるはずだという気持ちがいつもあった。だから大学でもっと試してみたくなったんですよ」
「野球に集中しなくちゃダメだ」「就職留年しよう」
大学では、2年生の春、明治大との開幕初戦からベンチ入り。後に中日ドラゴンズで活躍する川上憲伸の148キロの速球をファウルし、スピードへの対応に関して自信をつけ、秋のリーグ戦では規定打席には達しなかったものの打率は3割台をマーク。チャンスメーカーとしての貢献もでき、3年での飛躍に向けて本人も手応えを掴んでいたという。