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稲本潤一はアーセナルのことをよく知らなかった? 超冒険的な移籍のウラ側「なんとかなるやろう、と。いざ行ったら面食らいました」 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byNaoya Sanuki

posted2022/06/02 11:05

稲本潤一はアーセナルのことをよく知らなかった? 超冒険的な移籍のウラ側「なんとかなるやろう、と。いざ行ったら面食らいました」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2001年、稲本潤一はアーセン・ベンゲル監督に見込まれアーセナルに移籍。ベルカンプ、アンリ、ピレスら超一流選手の凄みを肌で知ることになった

 ワールドユースが終わると、シドニー五輪のアジア予選が始まった。当時のA代表はコパ・アメリカ1999に出場してグループリーグで敗退している。トルシエ監督は2000年以降、稲本ら若い選手たちを積極的にA代表でも起用することで、日本代表の世代交代を進めていく。

「トルシエさんは……僕を育ててくれた監督ですね。ユースからオリンピック、A代表とずっと一緒だったので。ヨーロッパのサッカーがどういうものなのか、個の強さ、厳しさが必要だと教えてくれた。当時の代表は若い選手も多かったので、サッカー以外のことについて学んだ部分もあります。同時に、言われたことだけをやるのではなく、選手たちが自主的に動けるような空気がチームにはありました。それで成長できたチームだと思っています」

 2000年のシドニー五輪ではオーバーエイジ枠で三浦淳宏、森岡隆三や楢崎正剛を起用し、当時の最強チームで挑んだが、決勝トーナメント1回戦でPK戦の末に敗退。しかし、続くアジアカップでは見事優勝している。稲本はどちらの大会も、主力選手として中央に立っていた。

「正直、アーセナルのことをよく知らなかった(笑)」

 2000年の終盤になると、稲本にとってヨーロッパ移籍は夢ではなく、現実的な目標へと変わっていく。

「オリンピックが終わると、もうA代表しか残っていない。当時は代表で活躍しなければヨーロッパから見向きもされない状況だったので、結果を残すことをすごく意識するようになりました」

 2001年6月。準優勝となったコンフェデレーションズカップ後、プレミアリーグのアーセナルからオファーが舞い込む。アーセン・ベンゲル監督が指揮していた当時のアーセナルは、プレミアリーグで毎年優勝を争う最高峰のチームだった。そんなチームへ行き、出場機会は得られるのか? ワールドカップまで残り1年、その挑戦が仇になることはないのか? プレミアリーグでプレーする初めての日本人選手誕生の喜びと同時に、そんな不安を抱いたことを覚えている。

 当時抱いていた疑問を、20年後の稲本にぶつけてみた。

【次ページ】 「すごいところに来てしまったなと…」

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