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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
稲本潤一はアーセナルのことをよく知らなかった? 超冒険的な移籍のウラ側「なんとかなるやろう、と。いざ行ったら面食らいました」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byNaoya Sanuki
posted2022/06/02 11:05
2001年、稲本潤一はアーセン・ベンゲル監督に見込まれアーセナルに移籍。ベルカンプ、アンリ、ピレスら超一流選手の凄みを肌で知ることになった
日本に戻ってから12年が経った。稲本はカテゴリーを変えながら、今も南葛SCで現役を続けている。
「サッカーが好きだから。それしかないですね。どんなカテゴリー、どんな環境だろうと、結局サッカーが楽しいというところに尽きると思います。南葛で練習する夜の人工芝なんて、ユース年代でもやっていなかったんですけど、そこでサッカーができることもすごく楽しいですし。とにかくサッカーが好きなことが一番の活力なんです。
ただ正直、ここまで長くやるとは思っていなかったですね(笑)。さすがに30代後半でやめると思っていました。僕らの世代はまだやっている選手も多い。しがみついているんですよ、みんな。もちろん、やめた人も嫌いでやめたわけじゃない。やっていて楽しいという理由と、それを受け入れてくれるクラブがあるのはすごく幸せで、ありがたいことです」
稲本潤一の20年が「幸せ」だった理由
日本中が熱狂した2002年。その中心には、22歳の稲本潤一がいた。42歳になった彼にとって、「ワールドカップからの20年」はどんな時間だったのだろうか。
「幸せな20年でしたね。海外のいろんなクラブ、カテゴリーでプレーできたし、日本でもJ1からJ3までやって、今関東1部に出させてもらって。なかなかここまでやっている人っていないと思うので。あらためて自分の経歴を振り返って、幸福なサッカー人生を送れているな、と感じます。もちろん僕自身が頑張ったところもあると思うんですけど、頑張ってもどうしようもできないこともありますから。周りの人に助けられながら、ここまで続けられたことへの感謝しかないです」
稲本が今もなおプレーしている姿からは、サッカーを通じて出会った人たちへの、そしてサッカーそのものへの感謝と返礼の想いが感じられる。
「やっぱりサッカーを見ることで、日々の活力が湧いたりするじゃないですか。スポーツってそういうものだと思います。日韓ワールドカップは、それが一気に爆発した瞬間でしたね」
あの2002年の熱狂が日常になる文化を、日本に根づかせたい。そんな想いが、南葛SCでのチャレンジに繋がっているのかもしれない。
「ほぼサッカー文化の無かった葛飾という場所から、Jリーグを目指す。そのためにクラブが少しずつ積み上げてきたものの一員になれている喜びが、僕のなかでも活力になっています。ホームでの開幕戦にもすごくたくさんの人が見に来てくれて、期待とやりがいを感じました。やっぱり僕は、今も幸せな環境にいるなと思います」<インタビュー前編から続く>
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