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JリーグPRESSBACK NUMBER
「一緒にやっていた選手が凄すぎて…」名波浩らを擁した“高校サッカー史上最強”の清商レギュラー・西ヶ谷隆之が28歳で引退した理由
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2022/05/21 11:00
吉田達磨の後任としてシンガポール代表監督に就任した西ヶ谷隆之。名波浩、山田隆裕、大岩剛らを擁した当時の清水商業では2年生でレギュラーを務めた
17年限りで水戸を離れると、18年はJ3のSC相模原で采配をふるった。20年9月からは松本山雅FCでトップチームのコーチに就いたが、その前年は松本のU-18監督の職にあった。
そもそもJリーグ各クラブでトップチームに関わる以前は、東京ヴェルディのジュニアユースとユースに携わった。指導者としての出発点は母校でもある筑波大学のコーチで、中京大学の監督を務めたこともある。様々なカテゴリーで指導歴を積んだ西ヶ谷の経歴は、発展途上のシンガポール代表にマッチすると言えるだろう。
「自分自身のストロングポイントは育成だと思っています。今回は代表チームの強化という仕事ですが、発展途上のチームに携わって育成と強化を両立させていくことは、育成年代を見てきた僕の強みであり、そこがシンガポール協会に評価されたと思っています」
「高校サッカー史上最強」の清商で2年生レギュラーに
プレーヤーとしての西ヶ谷は、静岡県の清水市立清水商業高校で2年時からレギュラーに食い込んだ。「清商(きよしょう)」の愛称で親しまれるチームは1990年の県新人戦、県総体、東海総体で優勝を飾り、夏の高校総体(インターハイ)と全日本ユースを制していた。冬の高校選手権は3回戦でPK負けをしてしまうのだが、それでもなお「史上最強」の評価を集めた。高校選手権に登録された20人のうち、実に13人がのちにJリーガーとなるのである。
3年生のFW山田隆裕は、大学生や社会人が中心のバルセロナ五輪代表候補に選ばれる逸材だった。ゲームメーカーの名波浩はユース代表で、のちに日本代表で背番号10を背負う。SBの大岩剛もユース代表で、プロ入り後はフィリップ・トルシエのもとで日本代表入りを果たす。CBの薩川了洋は、J1リーグで300試合以上の出場を記録する。錚々たる上級生が揃うチームで、西ヶ谷はCBのポジションを勝ち取った。