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JリーグPRESSBACK NUMBER
「一緒にやっていた選手が凄すぎて…」名波浩らを擁した“高校サッカー史上最強”の清商レギュラー・西ヶ谷隆之が28歳で引退した理由
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2022/05/21 11:00
吉田達磨の後任としてシンガポール代表監督に就任した西ヶ谷隆之。名波浩、山田隆裕、大岩剛らを擁した当時の清水商業では2年生でレギュラーを務めた
「もうちょっと現役でできるチャンスはありましたけど、それほど活躍したわけではないですし、清商の先輩たちはW杯に出たり日本代表で活躍したりしていた。自分もなんとかそういう場所に辿り着きたい思いがありましたが、高校で一緒にやっていた選手が凄すぎちゃって、僕自身は全然ダメだったなあと。アマチュア時代までは先輩たちに対して仲間という意識があったかもしれないですが、プロでは完全に『上のレベルの選手』でした。僕自身は悔しい思いと挫折と、ケガの連続でした」
28歳で現役引退を決めた“もうひとつの理由”とは
Jリーガーとして何かを成し遂げられなかった悔しさの近くには、密やかな野心もあった。現役選手としてプレーしていた当時から、引退後の準備を進めていたのだ。
「指導者になったら、自分より現役のキャリアが豊かな人たちとの競争になる。そこで勝負するためには、早く勉強を始めたほうがいいと考えたんです。次の未来をどう作っていくのかは以前から考えていて、現役時代に筑波大学大学院の試験を受けて、休学をしていました。それも引退を決めた理由でした」
育成年代と呼ばれる中学生や高校生年代から、指導者としてのキャリアをスタートさせる指導者は少なくない。西ヶ谷もそのひとりだが、与えられたポストを受け取ったのではない。率先して育成年代の現場へ飛び込んでいった。
「なぜ色々なカテゴリーをやってきたかと言うと、“なんでもできる指導者”になりたかったんです。現役時代のキャリアで劣る自分が、どうやって競争していくかを考えたとき、下から積み上げていって、育成も強化もできる指導者になれば需要があるんじゃないかと。そこは冷静だったかもしれませんね。自分の身の丈を知るのはすごく大事で、知りながらどういうふうに身の丈を大きくしていくのか。僕はまだ指導者として何も成し遂げていませんが、育成の現場を知っているからこそ、こうしてチャンスをいただけてきたのかもしれません」<後編へ続く>
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