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JリーグPRESSBACK NUMBER
「一緒にやっていた選手が凄すぎて…」名波浩らを擁した“高校サッカー史上最強”の清商レギュラー・西ヶ谷隆之が28歳で引退した理由
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2022/05/21 11:00
吉田達磨の後任としてシンガポール代表監督に就任した西ヶ谷隆之。名波浩、山田隆裕、大岩剛らを擁した当時の清水商業では2年生でレギュラーを務めた
「(2学年上の)藤田俊哉さんや(1学年上の)名波浩さんは別格でしたね。僕はサッカー推薦で入った選手ではなく、1年生の時は球拾いからでした。2年の夏のインターハイでレギュラーの先輩がケガをしてチャンスが巡ってきて、色々な人に叱咤激励されながらチームは優勝することができた。そのあとの全日本ユース選手権も先輩がケガをして、試合に出ることができた。それがなかったら3年生になって落ち着いてプレーできなかったかもしれないし、筑波にも行けなかったでしょうね」
卒業後は関東大学リーグの名門にして清商の先輩が多く在籍する筑波大学へ進み、95年にアトランタ五輪アジア1次予選に出場した。同年にはユニバーシアード代表にも選ばれ、史上初の金メダル獲得のメンバーとなった。
「高校で一緒にやっていた選手が凄すぎちゃって…」
そんな西ヶ谷だけに、1996年の名古屋グランパス入りは、大きな期待を寄せられるものだっただろう。デビューシーズンはリーグ戦13試合に出場し、2年目は出場試合数を「22」に伸ばす。ただ、レギュラーとして稼働することはできなかった。
「CBはブラジル人のトーレスと大岩剛くんが鉄板で、そこへ割って入れずにSBで使われたりしました。僕自身にポリバレントな能力がなく、SBでうまく自分の特徴を出せなかった。自分自身のプレーバランスがちょっと崩れてしまって、それをどうやって立て直すのかと、もうひとつレベルを上げるのに苦しんだ2年間でした」
98年はアビスパ福岡へ期限付き移籍し、3バックの一角を勝ち取る。J1でのキャリアハイとなる25試合出場を刻んだ。しかし、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の一員となった99年はリーグ戦出場がわずか3試合に終わり、ジェフユナイテッド市原(現千葉)へ移籍した00年は1度もピッチに立つことができなかった。
01年はJ2のアルビレックス新潟へ新天地を求め、全44試合のうち37試合でピッチに立った。中心選手として稼働したが、西ヶ谷はスパイクを脱ぐ。プロとしてのキャリアは6年、28歳での現役引退だった。