“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「U-20W杯の時、自分が25歳で辞めるとは…」消えた天才パサー市丸瑞希26歳が帰ると誓う青黒のスタジアム「自分の失敗は全部伝えていく」
posted2024/03/12 17:02
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
堂安律に「天才」といわしめた市丸瑞希は今、何をやっているのか。25歳で引退というキャリアを振り返るインタビューは、あっという間に90分を経過していた。
市丸は現役生活最後の1年の話を続ける。
「いい意味でプロサッカー選手として区切りをつける、そして指導者としての将来のためにVONDSに来ました。もちろん、ここで活躍して再びJリーグへという考えも少しだけは芽生えてきましたが、VONDSもレベルが高く、簡単な世界ではないことは理解していましたね」
当時は膝の負傷を抱えた状態で加入したこともあり、復帰してからもトップパフォーマンスが出せない時間が続いた。それでもなぜ「プロサッカー人生で一番楽しい時間だった」と振り返られるのか。
「布さんは嫌な顔せず、丁寧に教えてくれました」
指導者を目指す上で、最高のお手本がいた。当時チームを率いていたのは布啓一郎だった。市立船橋高を強豪校に育て上げ、その後はJリーグ、地域リーグと多くのカテゴリーで指導をしてきたその道のベテラン。市丸は、布と積極的にコミュニケーションを図り、質問攻めにした。
「布さんは嫌な顔をせずに、丁寧に教えてくれました。コミュニケーション力が高く、いつも学びしかない。自然と布さん目線で試合や練習などを見るようになり、どういう視点で選手を見ているのかを考えるようになったんです。この練習はどういう意図でやっているのか、試合中の声かけのタイミングと狙い、修正点の見つけ方などを注視していましたし、僕のように試合に出られていない選手に対しての声かけも見て学びました」
週1回、VONDSが運営するサッカースクールの指導に出向いた。布から学んだことを子どもたちにコーチとして還元する日々。自分自身と向き合い、サッカーを心から楽しんだ時間だった。ずっと自分が抱えていたちっぽけなプライドはもうない。