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「代表では中心選手なのになぜ評価されないのか?」“未完の大器”小川航基24歳、葛藤の5年間を振り返る
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byⒸJUBILO IWATA
posted2021/10/29 11:01
桐光学園時代から“次世代のエースストライカー”として注目されてきた小川航基。度重なる怪我と東京五輪落選を乗り越えて、今何を思うのか?
小川は国立スポーツ科学センター(JISS)で、怪我の治療とリハビリを進めた。そこではサッカー選手はもちろん、いろんなアスリートが怪我と向き合い、戦っていた。気持ちが落ち込んだ小川を勇気づけたのは、坂田良太(当時栃木)だった。前十字靭帯、後十字靭帯など右膝のすべての靭帯を損傷した選手が懸命にリハビリに取り組んでいる姿に胸を打たれた。
「坂田さんが黙々とリハビリに取り組んでいる姿を見て、刺激を受けました。自分は前十字だけ。ショックを受けて落ち込んでいる暇はない。前を向いてやっていくしかないなと」
翌2018年4月、小川はルヴァン杯の甲府戦でスタメン復帰を果たした。
だが、試合後にリバウンドが来て、膝に痛みが出た。そのため、リーグ戦でもなかなか試合に絡めない状況がつづいた。7月、調子が上向いてきた中、練習中に右肩関節脱臼を受傷、6週間離脱した。復帰してからも脱臼の影響が残った。FWとして相手を背負ってプレーするが右側ではうまく相手を抑えきれず、肘が上がるだけで外れてしまうクセがついて長引いた。結局、このシーズンは13試合1得点に終わった。
度重なる怪我、なかなか試合に出られない状況に小川は、重大な決心をする。
2019年7月、水戸ホーリーホックへ期限付き移籍をすることに決めた。
水戸への移籍「自分はできるんだというのを証明したかった」
「ジュビロでは、試合に絡めず、試合に出ても結果を出すことができませんでした。だからこそ一度外に出て、自分がどのくらいできるのかを試したかった。自分はできるんだというのを証明したかったんです。
水戸では17試合で7点取れたんですが、自分はこういうプレイヤーだからこういうところにボールを出してほしいという意思疎通もしながら結果を出せたので、すごく自信になりました。それに、試合に出て次の日にリカバリーして、休んで、練習して試合……というプロサッカー選手としての生活を送れたことも大きいですね。その後、A代表にも呼ばれたので、水戸への移籍は今も自分の中ですごく大きな経験になっています」
小川は、水戸でストライカーとしての感覚を取り戻した。
そもそも小川は、FWとして、どんな意識を持ってプレーしているのだろうか。
「自分は、89分間ダメでも1点が取れればというタイプです。どれだけプレーが悪くても最後に1点を取れればいいという意識が昔からあります。やっぱりFWなので、点を取ることが仕事ですし、何より自分が点を取ることでチームのプラスになると思うので、これからも点にはこだわっていきたい」
だが、ゴールを決める以上に外すことが多いのもストライカーというポジションだ。シュートを外しても動じないメンタルの強さが求められる。