話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
「代表では中心選手なのになぜ評価されないのか?」“未完の大器”小川航基24歳、葛藤の5年間を振り返る
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byⒸJUBILO IWATA
posted2021/10/29 11:01
桐光学園時代から“次世代のエースストライカー”として注目されてきた小川航基。度重なる怪我と東京五輪落選を乗り越えて、今何を思うのか?
大物ルーキーとして磐田に入団してきた小川に、名波監督は厳しさを見せた。
その頃の小川はゴールを奪いたいがためにゴール前から動かず、強引に行き、イージーなボールロストを繰り返していた。そのため、名波監督は小川がFWとして常に止まらず組み立てに参加するなど、ゴールを決めるための重要な動きを理解し、それができるまで試合から外した。
「毎日もがいていました。試合のメンバーに入れないので、メンバー外で練習をするんですけど、『なんで自分が』という思いがありましたね。代表でゴールを狙うプレーが評価されているのにジュビロではそれだけではダメと言われる。その頃は、名波さんが求めるものがよく理解できていなくて、そのギャップに苦しんでいました」
上手くいかない時期をどう過ごすのか?
そうしたギャップや葛藤はプロであれば少なからず経験するものだ。だが、そこでの対応で選手の価値に違いが出てくる。小川が腐らずに前向きに練習に取り組めたのは、磐田の先輩たちの姿勢があったからだ。試合に出られなくても自分のすべきことにひたむきに取り組んでいる姿に自分の甘さを感じた。
少しでもスキルを上げようとジェイ(現札幌)からシュート技術を学び、全体練習後の居残り練習に取り組んだ。その時、小川の練習に付き合ってくれたのが、GKの八田直樹だった。
「八田さんも試合に絡めなかった時があったんですが、どんな状況でも自分のやるべきことをやる姿勢を貫いていました。その姿を見て、そういう時期にどう過ごすのかが大事だと学びました。それからその時間をレベルアップするために使ったんですが、八田さんがシュート練習に付き合ってくれて。シュートの質とか、こうやって打つとGKは取りづらいよとか、アドバイスしてくれて、本当に助かりました」
U‐20W杯で大怪我「精神的にも厳しかったですね」
1年目はリーグ戦出場が叶わなかったが、2年目の第4節神戸戦でリーグ戦デビューを果たし、4月のルヴァン杯FC東京戦ではハットトリックを決めるなど順調な滑り出しを見せた。U‐20W杯にも出場し、「これからだ」という時、第2戦のウルグアイ戦で左膝前十字靭帯帯損傷、外側半月板損傷の大怪我を負った。
「ルヴァン杯で結果を出してU-20W杯に出場して、ようやくプロとしてのスタートラインに立てたところだったんです。そこで大怪我をしたので身体的にはもちろん、精神的にも厳しかったですね」