野球のぼせもんBACK NUMBER

「千賀くんのノーノーをめっちゃ意識した」18歳のホークス千賀滉大がソフトボール上野由岐子に出会った“9年前”《侍ジャパン》 

text by

田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

PROFILE

photograph byJIJI PRESS

posted2021/07/31 17:01

「千賀くんのノーノーをめっちゃ意識した」18歳のホークス千賀滉大がソフトボール上野由岐子に出会った“9年前”《侍ジャパン》<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2020年1月の自主トレ。ホークス千賀滉大(左)、ソフトボール代表上野由岐子、ジャイアンツ菅野智之(福岡県久留米市で)

「菅野くんの気持ちは分からなくないです。やっぱり、ずっとトップを走ってきているから、そこから落ちたショックというか……自分自身が許せないと思うんです。でも、それを経験したから、今シーズンは強くなるんじゃないかなって思いますけどね」

 その話の流れで「千賀の場合は?」とも訊ねてみた。

「千賀くんはまだ経験していないことが多い。これからじゃないですか」

つながったノーノーのバトン、つながれ金メダルのバトン

 千賀はこの前年シーズンにノーヒットノーランを達成し、4年連続2桁勝利と初の奪三振王のタイトルを獲得していた。彼自身は「突き抜けきれない自分が歯がゆい」といつも悔しがっていたが、本当の意味で「勝てなくなった」という経験はしたことがなかった。

 よりによって2021年の東京五輪というタイミングで、初めての壁にぶち当たってしまったのだ。

 上野はあの時、菅野にこんな言葉を投げかけたという。

「結果が出なくなったということは、今のままでは通用しない自分がいて、次のステップに移るチャンスだと思う。それをきっかけに、そこから積み上げていくことで新しい自分を作れる。今そこで挫折して終わるか、ステップアップできるのか大事な分かれ道で、自分の体や考え方の変化についていけなかった人が脱落していくんだと思います」

 最初は変えることを恐れ、ためらっていた菅野がフォーム改造を決断。鴻江氏から教わった腕から動かす独特なフォームが誕生した瞬間だった。

 千賀は柔軟だし、器用な選手だ。変わることが出来る。仮に昨年のように元に戻すことになったとしても、それは決して後退ではなく前進だ。少なくとも、今のままで東京五輪のマウンドに上がることはない。1日、いや1秒を無駄にするまいと、今も懸命なはずだ。

 ところで千賀が一昨年にノーヒットノーランを達成した際、その2日後に上野もまた日本リーグでノーヒットノーランを達成している。祝福のメッセージを送ると「千賀君のノーノーを知ってたのでめっちゃ意識してたし狙ってましたよ~笑」と返事があった。千賀に伝えると、「それが出来るのが恐ろしい笑笑」と仰天していた。

 あの時つながったノーヒットノーランのバトン。今度は上野から千賀へ、そしてソフトボールから野球へ――。

 つながれ、金メダルのバトン。千賀の笑顔と共に。

関連記事

BACK 1 2 3 4
#上野由岐子
#千賀滉大
#菅野智之
#王貞治
#福岡ソフトバンクホークス
#読売ジャイアンツ
#東京五輪
#オリンピック・パラリンピック

プロ野球の前後の記事

ページトップ