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「千賀くんのノーノーをめっちゃ意識した」18歳のホークス千賀滉大がソフトボール上野由岐子に出会った“9年前”《侍ジャパン》
posted2021/07/31 17:01
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
JIJI PRESS
13年越しの「五輪連覇」を果たし、再び金メダリストとなったソフトボール日本代表の大エース・上野由岐子。彼女の雄姿に間違いなく大きな刺激を受けているのが野球日本代表「侍ジャパン」のホークス・千賀滉大だろう。
2人が1月に行う自主トレでともに練習をする間柄だというのは広く知られている。今回の東京五輪ソフトボール日本代表で公式トレーナーも務めた鴻江寿治氏が主宰する合宿に千賀が初めて参加をしたのが2012年1月で、それが最初の出会いだった。
当時の千賀はプロ1年目を終えたばかりで、早生まれのためまだ18歳。ホークスでの背番号は128。まさしくダイヤの原石の頃だった。
「言葉の一つ一つがすごいなという印象ですが、特に覚えているのは『周りに流されちゃダメ。三流の選手は三流のことしかしない。一流の選手は三流のことはやらない』という言葉です」
9年前の合宿が終わった後、千賀はまだあどけなさの残る表情で目を輝かせながらそのように話していた。
上野「まだ18だし、何も知らない頃だった」
それから毎年ではないが、1月になると同じように合宿をともにした。
千賀は、支配下選手になり、中継ぎでオールスターに選ばれるまでになり、そして先発ローテ入りしてからも成長は止まることなく日の丸を背負ってワールド・ベースボール・クラシックで大活躍し、日本を代表するピッチャーになっていった。
その過程を上野は見てきた。
「鴻江先生の合宿って、1月でもキャッチャーを座らせて結構投げるじゃないですか。この時期だから5割の状態でもなくて、2、3割かもしれないけど、それを踏まえて『こういう球を投げるんだ』と思えることが自分の刺激になるんです。あとはグラウンド以外でも一緒に過ごすので、やっぱりいい選手って気づきとか、ちょっとした仕草とか違うんですよね。具体的に説明するのは難しいけど、ずっと見ていると分かるんですよ。
千賀投手は最初からすごいボールは投げていたけど、生活とボールの質にものすごく差があったように感じていました。まだ18だし、育成選手で何も知らない頃だったと思うので。でも、年に1回しか会わない中で、『去年よりすごく良くなったな』とか『大人になったな』とか見えてくるものがありました。実力に対して心が追いついてきたんだな、雰囲気も言動も変わって、心が落ち着いたんだと成長を感じたものです」
千賀にとって「初めての壁」
筆者もその合宿を共に過ごしてきた。ふと考えると上野と千賀は、似たタイプの投手だなと思うことがある。