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ビエルサは「失敗のスペシャリスト」と言うが…アルゼンチン、日韓W杯早期敗退と濃い“裏話”
text by
赤石晋一郎Shinichiro Akaishi
photograph byJMPA
posted2020/09/24 11:01
2002年W杯日韓大会で、グループリーグ敗退が決まって悲痛な表情を見せるバティストゥータ(中央)らアルゼンチン代表
自らを「失敗のスペシャリスト」と評する
希望を打ち砕かれたビエルサだが、アルゼンチンサッカー協会はすぐに彼を更迭することはしなかった。ビエルサは監督として、それだけアルゼンチンでは大きな存在だったということなのだろう。
2004年のアテネオリンピックで監督を兼任していたU-23代表を率いて金メダルを獲得すると、ビエルサは「エネルギーが無くなった」と語りアルゼンチン代表監督の座を自ら降りる。
その後のキャリアからはエル・ロコの苦悩が透けて見える。チリ代表にアスレティック・ビルバオ、マルセイユにリール、そしてリーズ・ユナイテッド――、いずれも就任当時はマイナー、もしくは没落したかつての強豪というようなチームばかりをビエルサは選んでいる。
名監督でありながら最大の失敗を経験したビエルサは、常に自らを「失敗のスペシャリスト」と評し「敗北で私が幸せを感じることは決してない」と語る。その言葉には、痛々しい過去と、悲しい響きが宿っている。
マシンのようにゴールを目指すサッカー
9月19日、プレミアリーグ第2節。リーズ対フルアムは昇格チーム同士の闘いとなった。後半17分まで4-1とリードしていたリーズだったが、フルアムの反撃に遭い最終スコアは4-3という打ち合いの一戦となった。
「リーズの得点はいずれも唸らされるような素晴らしいものばかりでした。MFクリヒのパスからFWバンフォードの決めた3点目は、まさにパシージョそのもの。4-1までのゲームは本当に素晴らしかった。
4点では飽き足らず5点目を取りに行くという攻撃的な姿勢であるがために、相手の反撃を受けてしまったことは今後の課題だと思います。ただ、マルセロは後ろに引いて守るということを極端に嫌うので、守り勝つという選択肢はなかったのでしょう。とにかく90分間、マシンのようにゴールを目指すサッカーは限りなく魅力的でした」(荒川)
今年はビエルサが監督を始めて30周年の節目の年。65歳にして待望のプレミアリーグデビューを果たしたエル・ロコ率いるリーズ・ユナイテッドは、2試合を終えて1勝1敗、得点7・失点7というクレイジーな戦いぶりを見せている。
傷だらけの天才は、最高のエンターテイメントと共にイングラドを熱狂させているーー。
<前編「ポゼッションサッカーの『神髄』とは? ビエルサが演出した熱狂のリバプール戦で起きていたこと」は下の関連コラムからご覧ください>
【取材協力】株式会社 MRH&CANTERA
〈参考文献〉
『ビエルサの狂気』(ベースボール・マガジン社)
『GOAL.COM』、『OLE.COM.AR』他
荒川友康(あらかわ・ゆうこう)
サッカー指導者。アルゼンチンで複数のチームや滝川第二高校での指導を経て、ジェフ千葉・育成コーチ、京都サンガ・トップチームコーチ、FC町田ゼルビアトップチームコーチなどを歴任。ビエルサのみならず、Jリーグでもアルディレスなどの名将の元で働く。アルゼンチンサッカー協会認定のS級ライセンスを所持。FCトレーロス所属。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。