欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
ビエルサは「失敗のスペシャリスト」と言うが…アルゼンチン、日韓W杯早期敗退と濃い“裏話”
text by
赤石晋一郎Shinichiro Akaishi
photograph byJMPA
posted2020/09/24 11:01
2002年W杯日韓大会で、グループリーグ敗退が決まって悲痛な表情を見せるバティストゥータ(中央)らアルゼンチン代表
ビエルサ独特の人心掌握術とは?
ポチェッティーノは荒川とともに、ビエルサの薫陶を受けた人間の1人である。エル・ロコはポチェッティーノが育成世代の選手だった時から、さまざまな戦術を指導、レクチャーしていたという。
後にポチェッティーノもビエルサを「父親みたいな存在だ」と評した。彼が名将の道を歩むことになる礎は、ビエルサとの子弟関係にあったといってもいいだろう。
荒川はビエルサの戦術レッスンの様子をこう振り返る。
「彼独特の人心掌握術だなと思ったものがあります。ビエルサは紙にスラスラとシステムなどを書きながら戦術を解説してくれるのですが。一通り終わると『もう、わかりましたよね』と言って目の前で紙を破って捨ててしまう。てっきり紙はもらえるものだと思っていたので私は焦るわけです。
それで2回目からは、一言一句聞き逃すまいと、より真剣になりましたね。そしてわからないことは、何度でも繰り返し質問するように心がけるようになりました」
ビエルサ率いるアルゼンチン代表は、W杯南米予選でアグレッシブな攻撃を武器に他国を圧倒する強さを見せ、優勝候補の一角という高い前評判を誇るチームだった。
だが日本でビエルサの運命は暗転する――。
日韓W杯は消えることのない傷
アルゼンチン代表は第1戦のナイジェリア戦を1-0で勝ったものの、第2戦のイングランド戦を0-1で落としてしまう。決戦となった宮城スタジアムでのスウェーデン戦は1-1の引き分け。イングランドの1点、オーウェンに与えられたPKは完全なミスジャッジ。スウェーデン戦でも、入るはずのない長距離のFKが入ってしまった。日韓ワールドカップでのアルゼンチン代表はあまりにも不運だった。
伝説のチームとなるはずだったGaucho(アルゼンチン代表の愛称・ガチョウの意味)は、飛び立つことなくグループステージの泥沼に飲み込まれていった。敗戦後、ビエルサはロッカールームで声を上げて泣き崩れた、とも言われている。
「グループステージ敗退が決まってからは、みなお通夜のような状態でした。私もかける言葉が見つかりませんでした。アルゼンチン代表は福島から関西空港に移動し、帰路につきました。私は何も出来ずにマルセロの背中をずっと見ていました。
最強チームで敗退したことはアルゼンチン国民にとってもショックだったろうと思いますが、監督本人にとっても衝撃だった。日韓ワールドカップで挫折してしまったという記憶は、マルセロにとって一生消えることのない傷になっていると思います」(荒川)