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室屋成が語るドイツ移籍とFC東京愛。
「健太さんが“頑張って来いよ”と」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byF.C. TOKYO
posted2020/08/17 08:00
ハノーファー移籍直前、インタビューに応じてくれた室屋成。FC東京での経験を心に刻んで、ドイツでの戦いに身を置く。
「東京にずっといてもいいかな、と」
「健太さんは『行きたい、って言ってたもんな』って。背中をトントンと叩いて、『頑張って来いよ』という感じで、後押ししてくれたというか。すごく優しかったです」
室屋の口から海外でのプレー願望を聞いたのは、リオ五輪のあとだったから、'16年の秋、あるいは、'17年シーズンの前くらいだったか。「将来はヨーロッパでやりたいですね」「(中島)翔哉ともそんな話をしています」というようなことを打ち明けてくれた。
その後、ドイツから代理人が室屋のプレーを視察するために、味の素スタジアムにやって来たこともあったが、海外移籍は実現しないまま、月日は流れていた。
だから、今回のオファーは室屋にとって待ち焦がれたものだったに違いない、そう思っていた。ところが……。
「東京にずっといてもいいかな、と思っていたんです」
室屋はそう、きっぱりと言った。
「今思えば、若い頃は、海外に行かなきゃいけないとか、どんどん移籍して、上を目指さなきゃいけないといった雰囲気があったから、『移籍したい』と言っていたような気がします。大学時代の監督や高校時代のコーチも、上を目指すのが当然っていう感じで。メディアの方々もそういう雰囲気で話してくるし(笑)。そういう流れに任せていたというか、流されていたと思うんです」
26歳、リーグ中断と舞い込んだオファー。
その言葉を聞いて、ドキリとした。まさに自分も誘導尋問を仕掛けていたメディアのひとりだったからだ。室屋がさらに続ける。
「今26歳。これからの人生でどういった選択をするか、自分にとって何が大切か、サッカー以外の私生活の部分も含めて考えたときに、東京に居続けることは悪くないな、と思っていたんです。Jリーグにいるから成長できないとは一切思っていないですし」
そんな室屋にとって、自身のサッカー人生や生き方を改めて見つめ直す機会となったのが、新型コロナウイルス感染拡大防止のためのリーグ中断期間だったという。
「サッカー人生は決して長くない。いろんなものに挑戦しなきゃいけないなって。サッカーができない期間に、いろいろと感じることが多かったんです」
そんなときに突如、舞い込んだオファー。運命を感じずにはいられなかった。
「このタイミングで行かない、という選択はできないなって。ひとりのサッカー選手として海外でプレーしてみたい、自分が経験したことのない環境に飛び込んでみたいという感情を、抑えることができなかった」