炎の一筆入魂BACK NUMBER
カープの教え子は「日本一で恩返し」。
去りゆく石井琢朗コーチの思い出。
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byKyodo News
posted2017/10/17 10:45
現役時代の石井も練習の鬼だったが、広島に来てからも、その自他に対する厳しい姿勢に変わりはなかったという。
今季最終戦、庄司の初ヒットで思わず涙が……。
10月5日の退団会見が、指導者・石井を表していたかもしれない。
すがすがしい表情が目立った会見で、思わず言葉を詰まらせて涙を浮かべた瞬間があった。
その理由は、連覇の喜びでも、主力のタイトル受賞でもなかった。
「何気に、最終戦で庄司の初ヒットが見られたというのが……」
10月1日対DeNA、横浜での最終戦。7回に代打出場した庄司隼人がライト前ヒットを放ち、プロ8年目で初安打を記録した場面を回想。堪える涙とは異なり、選手を思う気持ちがせきを切ったように言葉になってあふれ出した。
「あいつだけはずっと春季キャンプまでは一生懸命頑張って……。キャンプまでは頑張るんです。キャンプが終わるころになると、明日から二軍に行ってきますって。いいところまでいくんですけど、なかなか一軍で日の目を見ることができなかった。
表舞台になかなか出てこられなかった選手なんですけど、見られないで終わるのかなと思っていたら最終戦であいつの初ヒットを見られたのはうれしかったです。
たかが1本ですけど、僕からするとされど1本。
本当に頑張っている姿をずっと見ていた。庄司に限らずですが、そういう意味では象徴されるいいものを見せてくれたかなと思います」
気づけば、横浜から移籍して9年が。
現役時代は天才肌で努力家。指導者としては試合では勝利至上主義に徹しながら、練習では選手に寄り添い、情熱を注いだ。
気づけば、横浜から移籍して9年が経った。
「長い、短いというのはない。ただ本当にカープは強くなると思っていたから。その過程を見ていたいと思ったから」
強くしたいと願ったチームは、いつしか強くなると確信する可能性を感じさせ、そして強くなった。