炎の一筆入魂BACK NUMBER
カープの教え子は「日本一で恩返し」。
去りゆく石井琢朗コーチの思い出。
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byKyodo News
posted2017/10/17 10:45
現役時代の石井も練習の鬼だったが、広島に来てからも、その自他に対する厳しい姿勢に変わりはなかったという。
「好機でいかに打つか」より「好機を数多く作ろう」。
「『物』だけで『もの』を考える時代は終わった。これからは『心』と『意識』を考えたものづくりの時代だ」(井深大)
石井と同じ栃木県出身のソニー創業者・井深大氏の言葉のように、石井は広島選手の「心」と「意識」を変えていった。
「好機でいかに打つか」よりも、「好機を数多く作ろう」から始まった。
得点圏で1本出なくても、また好機をつくろうと前を向かせた。得点機で求めるのはヒットだけではない。「最低限何をしなければいけないか」、「何をしてはいけないか」――。そこからアプローチした(「40回以上の逆転はなぜ生まれたか? 石井琢朗がカープに施した打撃改革。」 http://number.bunshun.jp/articles/-/826471)。
若い広島にチーム打撃を植え付け、より得点が生まれる可能性の高い打撃を選手に求めた。「打撃は良くて3割。それ以外の7割でいかに点を取ることができるか」と、得点につながる打撃を求めた。1死一、三塁なら併殺崩れでも1点入る。無死満塁では二塁転送のゴロ併殺でも1点入る。
打率に反映されない進塁打をたたえた。
個々の数字ではなく、打線のつながりを求めた。
「あの打撃は犠牲フライと同じだから。あれでいい」
打撃コーチ就任2年目の今季、石井イズムは広島打線に浸透した。
勝利が広島打線の成長速度を上げた一因でもあるが、敗戦でも後退しなかった背景は石井のぶれない信念がある。
象徴的だったのは、7月11日のDeNA戦でのシーン。2回に1点を先制した広島は、さらに無死満塁。會澤翼は遊撃へ「6-4-3」の併殺に倒れた。1点を追加したが、直後に追いつかれ、逆転負けを喫した。2-5の敗戦。結果論でいえば、あの會澤の打席が悔やまれた。「適時打が出ていれば」「あそこでもっと点を取れていたら」と、結果論ではいくらでも言える。
だが、石井は會澤に「ナイスバッティング」とほめた。
「あの打撃は犠牲フライと同じだから。あれでいい」
仮に敗戦の責任を押し付けられていたら、今度同じようなシチュエーションで打席を迎えれば大振りしていたかもしれない。最善の結果からたどれば物足りなくても、最悪のケースを考えれば御の字の結果であった。
會澤も「チームとしてずっとやってきたこと。追い込まれた時点で、何とか転がそうということしか考えていなかった」と振り返る。
勝敗だけに左右されない揺るぎない信念を持つ打撃コーチがいたからこそ、「つなぎの意識」は早く、そして深く浸透。気づけば、広島打線に根付いていた。