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桑田真澄がついに“あの日”の真相を。
巨人との間に密約はあったんですか?
posted2017/10/16 15:30
text by
薦田岳史(Number編集部)Takeshi Komoda
photograph by
Takuya Sugiyama
「本当は墓場までもっていくつもりだったんですけど、あれから30年以上経ちましたし、もう時効ですからね」
インタビューの終盤、桑田真澄氏は今回の取材を受けた理由について、静かにこう語った。
PL学園のエースとして甲子園優勝2回、準優勝2回、戦後歴代1位の甲子園通算20勝を挙げ、プロでも通算173勝。'07年に移籍したパイレーツで、メジャー登板を果たし、引退。数々の記録を打ち立てた大投手が、一度は死ぬまで封印しようとした出来事――それこそが、1985年11月20日、あの運命のドラフト会議の記憶だった。
'85年秋、2人の「甲子園の英雄」の高校卒業後の進路に世間の注目が集まった。“KKコンビ”と呼ばれた英雄、清原和博氏はプロ入りを志望し、巨人への入団を熱望。もう1人の英雄・桑田氏は、早稲田大学への進学を希望しているとみられていた。
しかし11月のドラフト会議で、巨人は桑田氏を1位で単独指名して交渉権を獲得。清原氏には6球団が1位指名で競合し、抽選の結果、西武ライオンズが交渉権を得たのだが、巨人からの指名を希望していた清原氏はドラフト後の会見で涙を流したのだった。その後清原氏は西武へ、桑田氏も大学の入学試験を辞退し、巨人に入団した――。
「桑田、何でなんだ、って」
KKの運命が決定的に分かれたあの日。清原氏は、自らの半生を振り返る小誌連載「告白」第5回(Number935号)で、当時のことをこう明かした。
「そのすぐ後(ドラフトの記者会見後)、こう思ったんです。巨人は裏切った。ましてや桑田を1位にした。これが桑田じゃなければ、俺はこんな感情にならなかったはずだって……。桑田がそんなに巨人に行きたかったなんて、当時の僕は知りませんでした。確かにグランドで話した時に、巨人で一緒に野球やれたらいいな、と言っていたんですが、そこまで巨人が好きだとは思っていませんでした。だったら、なんで2人だけで話した時に言ってくれなかったのか……。『俺も巨人に行きたい』。はっきりとそう言ってくれていたら、僕は『そうか。じゃあ、お互いくじびきで、恨みっこなしだ』と言えたと思うんです。桑田、何でなんだ、って」