“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
地獄から戻ってきたFW木戸皓貴。
明大のヒーローはプロになれるか?
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/09/12 08:00
主将として明大サッカー部を率いた木戸。身体や技術だけでなく、精神面も大きく成長できた大学生活となった。
二度目はともかく、三度目の故障となると……。
結局、その予感は的中する。
桐蔭横浜大戦の翌々日の練習中に再び左膝をひねって半月板を痛めてしまったのだ。
「前回の怪我と比べて、思った以上に膝の経過が順調だった。だから復帰はしたけど、プレーすると違和感と疲労が溜まっていく感じで……。でも、早く復帰しないとプロになれなくなるという焦りもあって……『復帰したては仕方が無い。我慢してやれば徐々にコンディションは上がっていくだろう』と甘く考えていました。
結果的に怪我と復帰を繰り返していくうちに、インサイドキックをすることすら怖くなってしまっていた。
これは本当にまずいと思って再検査をしたら……半月板と内側靭帯が緩んでいたんです。要はリハビリで筋力を元に戻していたはずが、実戦をこなせるまでシッカリとはできていなかったということらしくて……」
大学進学時、争奪戦必至のスーパールーキーだったはずの自分が、気が付けば大学4年生になってしまっていて、いまだに「トップコンディションの頃の自分」という幻想を追いかけ続けている――。
「本気で自分の膝、自分の身体と会話しようと思った。もう逃げない」(木戸)
この時に木戸は、ついに自分の甘さを心の底から痛感すると共に、もう一度イチから自分の身体に向き合う決意を固めた。
膝周りの筋肉を中心に徹底的に鍛えた。地味なリハビリ、トレーニングを長時間、黙々とこなしていても、もう辛くなくなった。
次の復帰は、これまで以上に考え抜いて決断した。
次の復帰は彼にとって、もしかしたらラストチャンスに……自分のサッカー人生を左右する大きなものになるはずだった。
だからこそ復帰の時期、コンディションの持っていき方を、これまで以上に考え抜き、難しい決断も下した。
実は――怪我が治り、実質復帰ができる状態になったとき、まだリーグ戦に1試合も出場していないにもかかわらず、彼はユニバーシアード競技大会(台北)に挑む日本代表に選出されたのだ。
だが、その名誉ある申し出を、木戸は辞退した。