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「15歳プロ契約」天才少年・菊原志郎はなぜ“27歳で引退”したのか「早くラモスさん達と練習したい」“歓迎のけずり”も…読売クラブの英才教育とは?
posted2025/03/16 17:01

昨シーズン限りで松本山雅FCのアカデミーヘッドオブコーチングを退任した菊原志郎(55歳)。現役引退後は、育成の指導者としてキャリアを積んできた
text by

杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
Hideki Sugiyama
菊原志郎が静かにスパイクを脱いだのは、Jリーグ開幕4年目の1996年。東京ヴェルディが、ヴェルディ川崎と呼ばれていた時代である。まだ働き盛りの27歳だった。
前身の読売クラブが生んだ“元祖・天才少年”は、55歳となったいまも幼少期から慣れ親しんだサッカーボールと共に過ごしてきた。2024年シーズン限りで松本山雅FCのアカデミーヘッドオブコーチングを退任し、現在は自宅のある東京郊外のニュータウンでひと息ついているという。細身のシンプルなシャツが似合う体型と雰囲気は、選手時代とほとんど変わらない。
「30年近く指導者を続けてきましたので、ちょっと休憩しようかなと。単身赴任が長かったので、家族と一緒に過ごす時間を持ちたくて。両親が住む実家の横浜も近いですしね」
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柔和な笑みを浮かべ、テーブルに広がる読売クラブ時代の資料を手に取ると、懐かしさを覚えていた。
天才少年のルーツ「空手、水泳、スキー」
1980年代の専門誌には『天才少年』の見出しが並ぶ。センスあふれるテクニシャンは3歳からボールを蹴り始めたが、フットボール一筋で育ってきたわけではない。学業もさることながら、小学生の頃はあらゆるスポーツに精を出す。父・秀郎から「東大に勉強もできてスポーツもトップレベルの人間がいる。そういうかっこいい人がいるんだよ」と聞かされていたのだ。
地元のつばめSC、かながわクラブ、読売クラブユースS(U12)でサッカーに打ち込みながら、空手道場とスイミングスクールに通い、冬には雪山でスキー板を履いた。習い事をしている感覚はなかった。
「すべてで一番になりたくて、どれもこれも夢中になっていました。幼い頃から多くのスポーツを経験し、いろいろな体の動かし方を覚えたのは良かったと思います。空手、水泳は全身を使いますし、スキーは股関節が柔らかくなるし、バランスの取り方などが身につきます。サッカーにもすごく生きましたね」