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オシムは“監督”ジダンをどう評価?
CL決勝からサッカーの未来を考える。
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2017/06/17 07:00
世界中の試合がTV観戦できるチャンネルがある自宅で、日本だけでなく世界中のサッカーをチェックしているオシム。
メディアもファンも選手もサッカーを守るべき。
サッカーはメディアに守られねばならないし、人々に守られねばならない。もちろん、サッカーの選手らもまた、サッカーのために何かをしなければならない。
つまり選手はサッカーで稼ぐことばかりを考えてはならない、ということだ。
もちろん生活の糧を得るために金を稼ぐことは必要だが、サッカーをプレーするということは確固としたスポーツとしての目的があってのことだ。サッカー選手が稼げるのは、その選手が他の選手より余計に走るからであり、より高い知性を発揮しながら卓越した技術を見せるからだ。そうした彼らの多くの努力が、大金の年俸となって報われるからだ。
オシムは“ジダン監督”をどう評価したのか?
サッカーは今の時代、新たなスタートを切らねばならないのかもしれない。
もっと他の選手との連係を考えて……自分のプレーばかりを考えるだけでは十分に優れたプレーにはなり得ない。
自分が大きな報酬を得られるのは、メッシやロナウドのようにはプレーが出来ない他のチームメイトが力になってくれるからだということを、選手はもっと意識すべきだ。
とりわけフィジカル面において。フィジカルは今の時代においてもの凄く重要になってきている。偉大なチームはどこでも、選手がまるでウサギのように信じられないほどの距離を走っているからね。
そういう激しい進化や変化があるからこそサッカーは面白いのであり、今日のサッカーはそうした変化をキチンと意識している、よりインテリジェントなチームとそうでないチームの戦いになっているとも言える」
――では別の質問ですが、監督としてのジダンをどう評価しますか?
「彼の選手時代がどうだったかを考慮すれば、(レアルの監督になったのは)決して偶然ではない。
試合じゃない間も、彼はずっとチームのことを考え、レアルのユニフォームに価値を与えている。すべてが彼の双肩にかかり、とりわけ戦術的な面での責任は大きい。簡単な仕事ではなかったはずだが、彼は優れた監督になったことを自らの力で証明したと思う。
彼はサッカーのために生きて、勝つためにどうすればいいかを常に模索している。
選手たちの振る舞いやちょっとしたこと――微妙なポジショニングなどによって、試合を失うことはよくあるし、他にも予期せぬ出来事もたくさんあるのだが、それを彼は常に見張っているのだと思う」