博多の人・王貞治BACK NUMBER
「最初は、冗談かな? と」現役投手に“余命3カ月”宣告…ダイエー初の日本一直後、王貞治の驚愕「あんな元気な人が、命にかかわる病気だなんて」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/08/31 11:01
歓喜の日本一の直後、藤井将雄の検査結果は衝撃的なものだった。一報を伝えられた王は驚愕しつつも素早く行動を起こす
高塚社長の「英断」
高塚という人は、赤字続きの岩手・盛岡のホテル事業を立て直した手腕から「再建請負人」の異名を取っていた。そこで球団、ドーム、ホテルというダイエーの「福岡3点事業」の経営再建を図るべく、オーナーでダイエーの創業者・中内㓛が自ら招聘に動いたという経緯があった。
つまり、球団事業に関しては全くの門外漢のはずだった高塚だが、1999年4月から福岡に着任して以来、球団への“口出し”も増えていた。一例を挙げれば、ダイエー本社が経営難だからという理由で、日本一に導いた王の年俸を一度は下げようとした。
またチーム戦略上、先発ローテの巡りとして「火曜日」のカード頭に投げていた工藤公康に対し、火曜日の観客動員数が少ないことを理由に「これをどう考えるの?」と工藤の“せい”にするという、それこそ頓珍漢な理由を掲げたことで工藤を激怒させた。当初は残留を検討していたという工藤は、一転して巨人へのFA移籍を決断することになる。
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この年、何かと騒ぎを引き起こした張本人でもあったのだが、藤井に対する“契約続行”という高塚の決断に関しては、後にこうして振り返ってみても、選手ファーストの観点からも、また日本一に尽力した功労者に報いるという点から考えても、大きく評価されるべきものではあるだろう。
「じっくり治せばいい」
ただ、藤井は2000年2月のキャンプには参加できない状態にあった。王は“今後の目標”を伝えるべく、藤井に直接、電話で連絡を入れている。
「急いで復帰しなくていい。じっくり治せばいい。6月に照準を合わせて、戻って来てくれたらいいからな」
藤井はそこから、周囲を驚かせる、奇跡的ともいえる“復活劇”を見せることになる。
〈つづく〉

