博多の人・王貞治BACK NUMBER
「最初は、冗談かな? と」現役投手に“余命3カ月”宣告…ダイエー初の日本一直後、王貞治の驚愕「あんな元気な人が、命にかかわる病気だなんて」
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/08/31 11:01
歓喜の日本一の直後、藤井将雄の検査結果は衝撃的なものだった。一報を伝えられた王は驚愕しつつも素早く行動を起こす
ダイエーが日本シリーズを制した1999年、若田部は5年ぶりの2桁勝利となる10勝を挙げ、日本シリーズでも第2戦に先発。前年の1998年は未勝利に終わっていた右腕は見事な復活を見せていた。その激闘の疲労を癒しながら、次なるシーズンへと備える秋季キャンプ中に、何の前触れもなく、直接の面識もなかったという北方からの電話に、最初は戸惑いすら感じたという。
「そんな風な病気だと、そんなことを急に言われたから、最初は、嘘かホントか分からないし、藤井さんと後援会長の仲なので、冗談かな、と思いつつ……」
事情を必死に説明する北方に「分かりました」と返答して、いったんは電話を切った。それでも冷静に、よくよく考えれば、事態は深刻で、しかも急を告げている。
ADVERTISEMENT
若田部は時を置かず、北方に折り返しの電話を入れた。
「さっきの話、本当なんですか?」
本人に分からないように、球団側に“真相”を伝えたいという北方や藤井の家族の意向を受け、若田部はまず王に、その事実を伝えることを約束した。
若田部健一の葛藤
藤井の親友・若田部の長き葛藤が、この日から続くことになる。
ちなみに、北方の息子・悠誠は、後に藤井と同じ唐津商に進学すると2011年、3年夏にエースとして佐賀大会を勝ち抜いて甲子園に出場。その年の10月27日、ドラフト会議ではDeNAから1位指名を受けた。
夏の甲子園で最速153キロをマークした若き逸材への期待は高かったが、1軍登板すらできないまま、わずか3年でDeNAから戦力外通告を受けている。2015年にはソフトバンクと育成契約を結んで再起を図るが、こちらも1年で戦力外。その後、日本の独立リーグでのプレーを経て、2019年5月にはロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んでいる。
幼少時に、悠誠は藤井とキャッチボールをして、野球の手ほどきを受けたという。そのキャリアが物語る不屈の野球人生に、藤井の“面影”がついついダブってしまうといえば、話を少々、こじつけ過ぎだろうか?

