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「あのとき、江川さんは初めて努力をしたんじゃないか」永遠のライバル・西本聖が語る“地獄の伊東キャンプ”「最後も巨人で…感謝しています」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/08/01 11:04
永遠のライバル江川の背中を追い、長嶋に鍛えられて球界を生き抜いてきた西本。プロ人生を振り返りその胸に去来するものとは
最後にユニフォームを着るのならこの球団しかない。再び長嶋が指揮をとるジャイアンツに復帰しようと考えたのだ。
その年、巨人と中日が最後までリーグ優勝を争い、伝説の「10・8決戦」を制して巨人がリーグ優勝を飾った。ナゴヤ球場で長嶋が宙に舞ったが、歓喜の輪の中に西本の姿はなかった。
「テストを受けさせてもらって、長嶋監督のもとで最後に野球ができたことを感謝しています。プロに入った時の監督が長嶋さんで、プロ20年目もまた長嶋さんだった。選手としてはこんなに幸せなことはないでしょう。
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それまで、長嶋監督は一度も日本一になったことがなかった。長嶋監督を日本一にするために、1イニングでも、1球でも貢献したいという思いがありました。だから、巨人のテストを受けたのです。でも、一軍では一度も投げることができませんでした……」
西本、最後のグラウンド
もし、最後まで優勝争いが続かなければ、西本の引退登板が実現するはずだった。だが、それは幻と消えた。そのかわりに、1995年1月に多摩川グラウンドで引退試合が行われた。若手の頃、泥だらけになって走り回った思い出のグラウンドに、同期入団の定岡正二、後輩の桑田真澄、山本昌(元中日)らの顔があった。
長嶋もグラウンドに駆け付け、最終回には代打で登場するサプライズもあった。西本にとって最後のバッターが長嶋だった。
「僕にとって、あれ以上の引退試合はなかったですね。私服で長嶋さんが来てくださり、最後に対戦できたんですから」
ユニフォームを脱ぐまでの20年間で、西本は165勝128敗17セーブという成績を残した。
「一軍で勝てるようになってからは江川さんにだけは負けたくないと思って投げました。最後、巨人のユニフォームで引退できたのは長嶋さんのおかげです」
西本は2003年に阪神タイガースの投手コーチに就任。中日時代に監督だった星野仙一に乞われ、タテジマのユニフォームに初めて身を包み、18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
巨人に育てられた男がライバル球団のコーチとして経験した優勝には、それまでとは違う喜びがあった。
〈つづく/次回掲載をお楽しみに〉


