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「あのとき、江川さんは初めて努力をしたんじゃないか」永遠のライバル・西本聖が語る“地獄の伊東キャンプ”「最後も巨人で…感謝しています」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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photograph byHideki Sugiyama

posted2026/08/01 11:04

「あのとき、江川さんは初めて努力をしたんじゃないか」永遠のライバル・西本聖が語る“地獄の伊東キャンプ”「最後も巨人で…感謝しています」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

永遠のライバル江川の背中を追い、長嶋に鍛えられて球界を生き抜いてきた西本。プロ人生を振り返りその胸に去来するものとは

江川さんはあれだけ練習したことがなかったんじゃないか

「江川さんが終わるまで、僕は投げ続ける。江川さんも『ニシが投げているんだから』と思っていたようです」

 エースを狙う江川と西本、一軍定着を狙う若い投手がしのぎを削った。入団の経緯から先輩たちとは打ち解けられなかった江川だが、厳しい練習を通じてやっと仲間として認められた。そして、リーダーとしての存在感を示すようになっていく。

「おそらく、長嶋さんがそう仕向けたんでしょうね。1カ月以上、同じ釜の飯を食い、みんなでキツい練習をしたことで絆が強くなった。本当に厳しい練習だったけど、長嶋さんがいたから耐えることができた」

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 江川も西本も、角も鹿取も思いは同じだった。

「あそこまでの練習を江川さんはしたことがなかったんじゃないかな。僕たちが一生懸命に練習してやっとできることが、はじめからできる人だったから。

 あんなに大きな体をしているのに松本さんよりも足が速かった。あんな天才はもう出てこない。江川さんに聞いてみないとわからないけど、あのキャンプで初めて努力をしたんじゃないでしょうか」

 1980年、江川は18勝、西本が14勝、角も鹿取もリリーフとして成果を残した。しかし、巨人は61勝60敗9分、勝率.504で首位から14ゲーム差の3位に終わり、その責任を取る形で長嶋監督はチームを去った。

彼らのその後

 しかし、“地獄の伊東キャンプ”を乗り越えた選手たちはその後、飛躍を遂げることになる。このキャンプでスイッチヒッターに転向した松本は一番打者として定着、1982年には盗塁王を獲得した。1980年途中からセカンドのポジションをつかんだ篠塚は2度首位打者になった。クリーンアップを任された中畑は通算171本塁打を放つスラッガーに成長した。

 江川は球界のエースになり、2度の最多勝を獲得。1981年に18勝を挙げた西本は沢村賞を受賞している。角は通算38勝60敗99セーブをマーク、鹿取は40歳まで現役を続け、通算91勝46敗131セーブを記録した。

 1989年に移籍した中日ドラゴンズでの4年間で34勝を挙げた西本はその後、オリックス・ブルーウェーブでプレーしたあと、1994年、巨人に戻ってきた。

【次ページ】 西本、最後のグラウンド

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