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「勝手をするな!」「ダメになったら責任取ってくれるんですか」西本聖が球界初の“独自調整”を貫いたワケと、伝説の「足上げフォーム」誕生秘話
posted2026/08/01 11:03
誰よりも投げ込みをした西本だが、当時としては先進的なコンディショニングも行い、個性的なフォームを作り上げた。そのプロ根性はどこから来たのか
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元永知宏Tomohiro Motonaga
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KYODO
初めて二けたの14勝を挙げた1980(昭和55)年に、西本聖は30試合に先発し、222回を投げた。1981年は34試合に先発登板し、257回3分の2で18勝12敗、防御率2.58という成績を残している。
1982年からの3年間も毎年投球回数は200イニングを超えた(262回、239回3分の1、224回3分の2)。
ちなみに、2025(令和7)年に日本プロ野球で最も多く投げた投手は伊藤大海(日本ハム)で、投球回数は196回3分の2だった。今と比較すれば、西本の投球回数は異常とも言える数字だ。
西本がひじ・肩を痛めなかったわけ
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「1シーズンが130試合の時代に、それだけ投げましたけど、ひじも肩も痛めたことはない。壊すわけにはいかなかったので、コンディショニングには気を配りました。
やっぱり、休養は必要です。『しっかり休ませてほしい』と首脳陣にお願いしたんですが、最初は理解されませんでした。『次の試合で完封したら考えてやる』という返事でした。自分の仮説が正しいことを証明するためにも、勝たなければいけなかった」
西本流の調整法が少しずつ認められるようになったのが1979年だった。
「それまでも主張していましたが、勝つことで少しずつ自分のやり方をまわりの人に認めさせました」
1試合に130球以上投げることも、連投も日常茶飯事だった時代に、自らが編み出した方法だ。
「僕が最初にしたのは、プールでのトレーニング。プロ1年目のシーズンオフにはもう始めていました。まだ野球選手は肩を冷やすなと言われていましたが、僕には関係ない。疲労回復に大きな効果がありました。シーズン中もプールでのトレーニングは続けていました」

