プロ野球PRESSBACK NUMBER
「江川卓をエースにする」長嶋茂雄監督の苦難の時代を支えた左腕・新浦壽夫はなぜ江川のサポートに?「長嶋さんの“巨人のエース”のイメージは…」
text by

元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byBungeishunju
posted2026/07/31 11:03
監督就任初年度はまさかの最下位、その後も日本一を奪回できない長嶋茂雄は「エース」の存在を求めていた
新浦が15勝、小林が13勝した1978年は、ヤクルトスワローズが初優勝を飾り、巨人は3.0ゲーム差の2位に終わった(65勝49敗16分、勝率.570)。
監督就任以降の指揮官・長嶋の苦闘を見続けた新浦は、4年間の歩みをこう振り返る。
「V9時代の後半は、他球団のベテラン選手をトレードで獲得することが多かった。もちろん、戦力補強ということではあったけど、他球団の情報を集めようという目論見もあったんじゃないでしょうか。選手の癖とかサインとか、いろいろな決め事がわかる」
ADVERTISEMENT
当時の川上哲治監督、牧野茂ヘッドコーチは他球団の戦力や戦い方を徹底的に分析し、弱みをあぶりだしてそこを突いた。
「V9時代の巨人は知恵の軍団でしたね。もしかしたら、長嶋さんは情報戦とかそういう野球ではなくて、相手と真っ向からぶつかって倒す野球を目指したのかもしれない。言葉は悪いけど、『汚い野球はやめて、正々堂々戦おう』と」
巨人のエース=右の本格派の系譜
確かに、長嶋が監督就任1年目の1975年に掲げたチームスローガンは「クリーンベースボール」だった。
しかし、相手と真っ向からぶつかって勝つ野球をするためにはチームの柱も、それを脇で固める戦力も足りなかった。そこで「江川をエースに!」と考えたとしても不思議ではない。150キロの剛速球とカーブだけでバッターをねじ伏せる江川が巨人のエースにはふさわしい、と長嶋は思ったのだろう。
「長嶋さんには『右の本格派こそが巨人のエース』という強いイメージがあったのかもしれない」
長嶋が巨人に入団した当時のエースは通算310勝を記録した別所毅彦。1958年、1959年に2年連続でMVPを獲得した藤田元司、1964年から4年連続でチーム最多の勝利を挙げた城之内邦雄、通算203勝の堀内恒夫へと「右の本格派」の系譜が続く。
だからこそ、3年連続で二けた勝利を挙げているエース格だが左腕の新浦をサポート役につけて、江川を勝たせようと考えたのだろう。
またそれは球団の要請でもあり、“ミスタープロ野球”と呼ばれた男が見いだした希望だったのかもしれない。
〈つづく〉


