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「エースを作るから、江川卓のケツについてくれ」長嶋茂雄監督の命令に呆然…当事者が振り返る江川トレード事件「俺がエースじゃないのかよ!?」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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posted2026/07/31 11:02

「エースを作るから、江川卓のケツについてくれ」長嶋茂雄監督の命令に呆然…当事者が振り返る江川トレード事件「俺がエースじゃないのかよ!?」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1979年、巨人の開幕投手としてエースにふさわしい投球を続けていた新浦壽夫。だが長嶋監督から思いもよらぬ命令が……

「当時、3年連続で二けた勝っていたし、『関わりにくい先輩』とでも思っていたのかもしれない。当時のプロ野球は、チームメイトでも仲良くするというのはなかったから」

 新浦は、当時の巨人投手陣に関するエピソードを話してくれた。

「高橋一三さんというサウスポーがいて、素晴らしいスクリューボール(チェンジアップ)を投げていた。もし投げ方を教えてもらえれば投球の幅が広がっただろうけど、教えてくれるはずがない。『自分で盗め』というのが当時の考え方だった」

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 新浦が新しい変化球を覚えれば、自分の働き場所がなくなってしまう。チームメイトでもライバルになるかもしれない。それが当時のプロ野球の流儀であり、それを徹底したから巨人はV9時代を築くことができたのだ。

「江川のケツについてくれ」

 江川が加わったことで投手陣の編成は変わってくる。しかし、この大物ルーキーが期待された通りのピッチャーであるかどうかはわからない。法政大学を卒業してから1年以上のブランクがあり、春季キャンプでプロの水に慣れることもチームになじむこともできなかった。

 巨人は開幕から2カ月間、江川の出場を自粛する措置を取った。小林の穴が空いたまま、1979年のシーズン開幕を迎えたのだ。開幕投手を任されたのは新浦だった。

 前年、2位に終わった巨人が狙うのはリーグ優勝と日本一しかなかった。

 4月は10勝6敗1分と順調なスタートを切り、5月も12勝9敗1分と好調は続いた。新浦は10試合に先発し、8勝2敗。エースと呼ぶにふさわしいピッチングを続けていた。

 しかし、ある日、長嶋監督から驚くべき言葉を聞かされることになる。

「エースをつくらないといけないから、江川のケツについてくれ」

 先発ローテーションの柱として十分な実績を残している新浦に、リリーフ指令が下ったのだ。

「それを聞いた瞬間、『えっ、俺がエースじゃないのかよ』と思いましたよ。あれだけの騒動を起こして江川を入団させたわけだから、勝たせないといけないと球団も考えたはず。監督からすれば、はじめに勝ち星をつけさえすれば江川も気持ちよく投げられるようになるし、チームの成績も上がっていくだろうという読みもあったでしょうね」

 だから、あくまで軌道に乗るまでの「お手伝い」というのが新浦の受け止め方だった。

つづく

#3に続く
「江川卓をエースにする」長嶋茂雄監督の苦難の時代を支えた左腕・新浦壽夫はなぜ江川のサポートに?「長嶋さんの“巨人のエース”のイメージは…」
この連載の一覧を見る(#1〜26)
#26
「延長18回と5連続敬遠」の共通点…星稜・山下智茂監督が81歳の今も心に秘める教訓「もしあの試合に勝っていたら、天狗になってクビだったかも」
#25
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#24
「野球観、人生観を変えてくれた」箕島との“延長18回”を星稜・山下智茂監督はどう戦ったか…サヨナラ危機で出た奇跡のプレーに「私もびっくり」
#23
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#22
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#21
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#20
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#19
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#18
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#17
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#16
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#15
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#14
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#7
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#6
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#5
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#4
江川卓の初勝利をサポートも「礼を言われた記憶はないなあ」新浦壽夫が見た“江川−小林繁トレード”のすべて「二人とも愚痴は言わず…立派だったよ」
#3
「江川卓をエースにする」長嶋茂雄監督の苦難の時代を支えた左腕・新浦壽夫はなぜ江川のサポートに?「長嶋さんの“巨人のエース”のイメージは…」
#2
「エースを作るから、江川卓のケツについてくれ」長嶋茂雄監督の命令に呆然…当事者が振り返る江川トレード事件「俺がエースじゃないのかよ!?」
#1
1979年「実は僕も江川卓のトレード候補だった」“空白の一日”を巨人の左腕エースはどう見ていたのか「江川本人が気づくわけないんだから」

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