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「エースを作るから、江川卓のケツについてくれ」長嶋茂雄監督の命令に呆然…当事者が振り返る江川トレード事件「俺がエースじゃないのかよ!?」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/07/31 11:02
1979年、巨人の開幕投手としてエースにふさわしい投球を続けていた新浦壽夫。だが長嶋監督から思いもよらぬ命令が……
「新聞記者から、阪神からはじめに僕の名前が出たけど、巨人が断ったらしいと聞きました」(新浦)
白羽の矢が立ったのは26歳、6年間で62勝を挙げた小林だった。
普通だったら出さないでしょう
これだけ実績のあるピッチャーを放出してでも、巨人は江川卓を獲りたかったということだろう。
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「(小林は)体は細身だったけど(178センチ、68キロ)、走るのは速いし、バネもある。普通だったら、そんなピッチャーを出さないでしょうね」
1月31日、新浦も羽田空港にいた。事情を知る者は簡単に口を開かない。当時は携帯電話もなく、新聞、テレビ、ラジオ以外にニュースを知る方法はなかった。
「でも、どうやら小林がトレード要員になったようだ……ということが漏れ伝わってきました」
この江川と小林の電撃トレードによって、“空白の一日”から始まった巨人のドラフト破りは決着がついたはずだった。
しかし、プロ野球選手といえども人間だ。それぞれの選手の中には、生の感情があった。人格者として知られる王貞治でさえ「ああいう形で入団するのはどうなのか」とコメントしたと報じられた。
残ったのは、江川の“身代わり”になって小林が阪神に出されたという事実だった。
江川とチームメイトの間の空気は……
巨人移籍が開幕後(4月7日に譲渡手続きが完了)になったため、江川の春季キャンプへの参加は見送られた。巨人OBでキャッチャーだった矢沢正と自主キャンプを行うことになった。
もし、早いうちに江川が巨人に合流していたら、状況は違っていたかもしれない。しかし、チームメイトとの顔合わせもないまま、シーズンに向けた準備が進められた。新浦は当時をこう回想する。
「高校時代にあれだけ騒がれて、法政大学でも評価を落とすことなく、プロ野球に入ってきた。自分に対して風当たりが強いことは当然、感じていたでしょうね。
江川とは巨人で何年も一緒にプレーしたけど、野球の話をした記憶はありません。まともに会話したこともないんじゃないかな。向こうから話しかけてくることもないし、こっちからもない。当然、あいさつくらいはするけど。食事をしたり、酒を飲むこともなかった」
江川からすれば4歳年上で、すでにプロで実績のある新浦への対応に苦慮していたのかもしれない。

