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「じつは隅田が起用を知ったのは、ベネズエラ戦当日だった」WBC侍ジャパン、投手起用の“誤算”…西武・隅田知一郎が最後に語った「野球の怖さを知りました」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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posted2026/03/22 11:01

「じつは隅田が起用を知ったのは、ベネズエラ戦当日だった」WBC侍ジャパン、投手起用の“誤算”…西武・隅田知一郎が最後に語った「野球の怖さを知りました」<Number Web> photograph by AFLO

ベネズエラ戦、2ランを許し降板する隅田知一郎を迎える大谷翔平

 特に昨年のワールドシリーズMVP右腕・山本に関しては1次ラウンドで50球程度、準々決勝では80球程度という球数制限があったと言われる。ドジャースからは大谷の通訳としても知られるウィル・アイアトン氏が同行し、球団側と調整状況の連絡役もつとめていた。

 山本ほど厳格ではないにしろ、菊池、菅野についても状況は同じだった。首脳陣はまず3人の登板日程を最優先にしたうえで他の投手を組み合わせる方法でプランを立てた。国内組の先発投手は、第2先発、第3先発を担い、ときに故障者続出で本職の人数が揃わないセットアッパーやリリーフとしての役割もこなした。

「井端(弘和)監督は本当に大変だと思う。投手のやりくりで気を遣わないといけないところがたくさんある」と大会中に、あるコーチが漏らしていた。

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 球数制限というと「投げさせ過ぎない」ための“上限”にばかりに注目が集まるが、実際には「投げさせなければいけない」という“下限”のタスクも含まれる。失点しても簡単には交代させられなかったり、気を遣って登板させなければいけなかったりと、井端監督は四方へ気を遣った采配をしなければいけなかった。

 宮崎合宿前の故障ドミノに始まり、大会中も続いたイレギュラーな事態に際して、その皺寄せを受けたのは国内組の投手たちだった。若手投手の多くはメジャーへと続く飛躍を夢見て……。何より、その心を支えたのはチームのため、勝利のため、という思いだっただろう。プロ野球開幕は3月27日。侍ジャパンを支えた「国内組」が、シーズンを無事に駆け抜けられるように。誰よりそれを願っているのは井端監督その人かもしれない。

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