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〈NHKオンデマンド〉捕手・野村克也の戦い「福本を止めろ クイックモーション誕生」担当ディレクターが語る制作秘話
posted2026/03/26 11:00
1973年にパ・リーグ優勝を決めて胴上げされる、南海ホークス捕手兼監督時代の野村克也
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
Sankei Shimbun
3つの重圧がのしかかっていた。1つ目は取材相手だった。
「まだ駆け出しなのに、野村克也という巨象と対峙しなければならなかったんです」
そう振り返るのはテレビディレクターの木村直人だ。木村は2000年にドキュメンタリーの制作会社に入社し、3年目にディレクターに昇格。そして、2006年初夏、楽天の監督だった野村を中心に据えたNHKのスポーツドキュメンタリーの制作を任された。木村はスポーツについてまったくの門外漢だった。
木村が担当した企画はのちに「福本を止めろ クイックモーション誕生」というタイトルで放送されることになる。今では当たり前の投手のクイックは1973年、 パ・リーグのプレーオフで南海の監督兼選手だった野村が「世界の盗塁王」と呼ばれた阪急の福本豊を二塁で刺すために完成させたという説を検証する内容だった。先輩が出した企画を、たまたま手が空いていた木村が担当することになったのだ。
放送予定は10月28日。木村は約4カ月前に動き始めた。まずはクイックが生まれた瞬間の映像を探し当てなければならなかった。木村が回想する。
「そもそも当時のパ・リーグの映像はNHKにはほとんど残ってない。なので、それを見つけるのが最初の試練でしたね」
つてを辿り、大阪の毎日放送なら映像が保管されているかもしれないとの情報を得る。木村は毎日放送へ赴き、当時の南海の映像を片っ端からチェックした。
「資料室からビデオテープをゴソッと持ってきては早送りで見て。丸一日かけて何とか見つけることができました」
ドキュメンタリー番組は、大きくわけると現在進行形の事柄を起こった順に取材する「密着もの」と、過去の出来事を掘り起こし資料や証言で組み直す「構成もの」の2種類がある。木村は構成ものは初めてだった。それゆえ、制作過程で上司から特大のカミナリを落とされたことがあった。
「密着ものは自然の流れに任せ、偶然にかけているところがある。一方、構成ものはきっちり筋書きを作るんです。このインタビューを撮って、次にこの映像を入れるとか。でないと、バラバラな作品になってしまう。で、ある番組のロケハンの段階で、プロデューサーに『構想とは違いましたけど、こっちの方がおもしろいと思うので』って軽い感じで言ったんです。そうしたら『ふざけんな!』ってすごい怒られて。そんなに簡単に変更するなということでした。頭が真っ白になって、もう一度、構成案からやり直したなんてこともありました」
レジェンドたちが語る'70年代パ・リーグの情景。
インタビュー取材は順調だった。もう1人の主要人物である福本も、南海でクイックの体得を余儀なくされた佐藤道郎や江本孟紀も。他球団で福本対策に頭を悩ませた捕手の梨田昌孝(元近鉄)や、エース格の東尾修(元西武)も。木村が言う。
「みなさん嬉々として語ってくれましたね。'70年代のパ・リーグですから、お客さんなんてほとんど入っていなかった。そこに光を当ててくれたことが嬉しかったのかもしれません。東尾さんは前の日、銀座で飲んでいたそうで、お腹がきつくてズボンをゆるめたままだったんです。でも『下は映らないだろ?』って。二日酔いでも1時間くらい快くしゃべってくれました」
最後の関門は野村だった。'06年の野村は楽天の監督になって1年目のシーズンを戦っていた。そのためオフにならないと長時間の拘束は難しく、インタビューは10月に入ってからようやく実現した。2つ目の重圧──。それは先輩の言葉だった。
「もし、おまえが拙いインタビューをするようなら、そのときは俺が代わるからな」
テレビ取材は失敗が許されない。木村が苦笑交じりに思い出す。
「行きの仙台までの新幹線の中で、僕を担当に指名した先輩がそう言ったんです」
現場に到着すると、とどめとなるプレッシャーをかけられた。球団マネージャーに、野村の妻であるサッチーこと沙知代夫人が東京から来ることになっていて、サッチーが来たら、その時点で取材は打ち切ると宣告されたのだ。木村の緊張は頂点に達した。
「目の前に野村さん。後ろに『肩を叩いたら代われ』と言う先輩。そして、見えないサッチーという敵まで現れたんです」
取材を通して知った野村の凄み
しかし取材が始まると、すべての懸念は杞憂に終わる。野村は水を向けると昨日のことのように克明に昔の出来事を語り始めた。木村があまりにも重箱の隅をつつくような質問をするため「いかにもNHKだな」と嫌みを言われたが、言葉とは裏腹に機嫌はよさそうだった。木村が感心する。
「野村さんは非常に論理的で、言葉をたくさん持っていた。なので、僕の作品も含め、野村さんのドキュメンタリーが非常に多いというのはすごくよくわかりますね」
野村にはほぼ2時間、たっぷりと話を聞くことができた。放送日の翌日、同僚たちから「おもしろかったよ」と声をかけられた。木村にとって何よりの報酬だった。
「ドキュメンタリーはすごい視聴率を稼げるものでもない。なので、その言葉で初めてつくった意味があったなと思えました」
福本と野村の攻防に焦点を当てつつも、それと並行して木村の頭の中に常にあったのは、'70年代のパ・リーグの空気感を蘇らせたいという思いだった。
「1973年にプレーオフが行われた大阪球場はもうありません。今は地面に記念のホームベースとピッチャーズプレートが埋め込まれているだけです。あの頃のパ・リーグは西鉄が野武士軍団と呼ばれたように荒々しい人たちが多かった。そんな男たちが知恵を絞り合い、本気で野球という遊戯に打ち込んでいた。取材過程で、その時代の空気に惹かれたし、それを何とかして捉えたいというのはすごくありましたね」
すぐれたドキュメンタリーに共通してあるもの。それは時代のにおいである。
NHKオンデマンド「野村克也ドキュメンタリー特集」
NHKオンデマンドはスポーツドキュメンタリーの名作を配信中。野村克也氏がテーマのシリーズでは「クイックモーション誕生」のほかにも、「勝負を決めた野村メモ」や「“無形の力”で強くなれ」など、選手として、監督としてさまざまなチームでの実績を取り上げる計8番組を配信。また、4月からは「レジェンドの目撃者」シリーズとして、ランディ・バース、桑田真澄、山本昌など7人のレジェンド選手をテーマとするドキュメンタリーも配信されるほか、6月からは没後1周年を迎える長嶋茂雄氏の関連ドキュメンタリー配信も予定されている。



